VOICE OF J-45 PART 1 : 奥田民生インタビュー
野生味に溢れる J-45のサウンドがあれば もうそれだけでいい
1942年の登場以来、力強く渋みのある個性的なサウンドで存在感を示してきたギブソンのJ-45が、今年で誕生80周年を迎えた。日本では吉田拓郎や長渕剛、海外でもジョン・レノンやボブ・ディランといった数々の一流ミュージシャンたちを虜にしてきたJ-45は、発売から時が流れた今もなお、“アコースティックギターの代名詞的な存在”として変わらずに親しまれている。1987年にユニコーンの一員としてデビューし、ソロ活動やカーリングシトーンズなどでも活躍してきた奥田民生も、J-45を愛してやまないミュージシャンのひとりだ。今回、キャリアを語る上で欠かすことのできないJ-45の魅力について語ってもらった。
取材・文:尾藤雅哉
撮影:山川哲矢
“このギターでしか、出せない音がある”
――民生さんは、現行モデルからヴィンテージまでさまざまなJ-45を愛用していますが、まずは民生さんとJ-45との出会いから話を聞かせてください。
ユニコーンでデビュー(1989年)してから、“オーソドックスなギターを持っておきたい”と思って買いに行ったのが、ネックの細いチェリーサンバーストのJ-45でした。当時は音色のイメージもないまま、見た目に惹かれて手に取りましたね。
――J-45というモデルを最初に認識したきっかけは?
僕の中の絵的には、井上陽水さんかな。でも、いろんな人が使っていたから、特定の誰かを思い浮かべるってことはないですけどね。あとは吉田拓郎さん。僕の中では、海外の方よりも日本のミュージシャンが使っているイメージが漠然とありますね。
――民生さんが長年愛用されている1945年製のJ-45は、いつ頃手に入れられたのでしょうか?
1994年かな。ソロになったばかりの頃、レコーディングで一緒だったベーシストのミックさん(美久月千晴)が、ヴィンテージのJ-45を持ってきてくれたんです。極太ネックのモデルで、それまで使っていたものとは音が違うことに気づいて、僕も探してみました。それで結局、たしか高円寺の楽器屋で見つけたこの1945年製を買ったんです。当時はそこまでヴィンテージに憧れがあったわけではなかったけど、“この時代の太いネックのギターでしか出せない音があるんだ”と、とにかく驚きました。手に入れた時は、トップ材が少しヒビ割れていて、向こう側がちょっと透けて見えるような感じだったんですよ。でも修理に出したら、音がすごく良くなって戻ってきて(笑)。あと、このギターにはピックアップを付けたくないので、弾き語りの時はマイクを立てて使うようにしています。
――民生さんが感じる1945年製モデルならではの特徴は?
とにかく音が大きいですね。僕も声が大きいほうなので、ついデカい声で歌いすぎてしまった時でも、しっかりとギターの音が自分の歌に付いてきてくれる。それが、この時代ならではのサウンドなのかなとも思います。1958年製のモデルも使っているんですけど、“本当に同じJ-45と言っていいのか?”というくらい音に違いがありますね。
――では、お話に出た1958年製モデルに対する印象はいかがでしょう?
1958年製のモデルのほうが、僕がイメージするJ-45の音に近いんですよ。一般的にイメージされる“J-45のサウンド”は、どちらかというと1950年代のものに近いかなと思います。僕は、少し太めのネックの1950年代モデルが奏でる“野太い音”の雰囲気が好きなんです。1960年代のモデルは、ネックが細くなるからまた少し音が変わってくる。もちろん、それぞれの良さはあると思いますけどね。
――1958年製モデルは、いつ頃手に入れたのですか?
1945年製を手にしてから数年経ったあとに買いました。このモデルは、手に入れた時からピエゾ・ピックアップが付いていて、アンプで鳴らしてみた時に“使えるな”と思ったんですよね。なので1958年製でライブをする時は、マイクとピエゾ・ピックアップの2系統で音を拾って演奏しています。ここ最近、弾き語りをやる時は1958年製か、同じような仕様の赤いJ-45を使うことが多いかな。この2本は、現場でPAさんから“マイクだけだとハウります”と言われてしまうような場面にも対応してくれるんですよ。
“荒々しいサウンドを楽しむのが、このギターの魅力“
――1945年製のJ-45は『ひとり股旅ツアー』(1998年)でも活躍していましたが、このモデルから生まれた曲もあるのですか?
いや、ツアーをやっているとギターを家に持って帰らないんですよ。なので自宅では、もう20年以上ずっと弦を張り替えてない(ギブソン)B-25があって(笑)。そのギターでだいたいの曲を作っています。弦が切れたら、もちろん替えないといけないんだけど、まだ切れないからそのままなのよ(笑)。ここまでくると、“かえっていい味を出している”という感覚もあって。だから曲を作る時にはそのB-25とか、あとはレスポールをアンプにつながずに生音で弾いたりもします。
――数々の名曲を生み出したというB-25も気になりますが(笑)、レコーディングの時には、どんなアコースティックギターを使うことが多いんですか?
1945年製と1958年製のJ–45、あとは1958年頃のCF-100Eの3本をよく使っています。レコーディングだと色々な調整ができますけど、ライブは“とにかく音量命”みたいなところがあるんで、ピックアップが付いていない1945年製はちょっと使いにくいところがありまして。
――たしかにライブでは、赤色のJ-45を手にする場面も多いですよね。
そうですね。さっき話したように、ライブでは赤いJ-45と1958年製を使うことが多いですかね。この赤いJ-45は、2005~2006年頃に1本だけ作ってもらったプロトタイプで、僕がリクエストした仕様で作ってもらったんですよ。“1945年製のJ-45みたいなやつを作って下さい”とか、“ピックガードは大きく、ブリッジは細いほうがいい”とか、色々とお願いしたんです。各年代の要素が混ざった“有り得ない1本”を作ってもらったんですけど。
――弾いた感触はどうでしたか?
手に入れた当時は、“低音の鳴りが良くて、音量もあるな”と思いました。それから15年くらい使ってきたことで音が馴染み、ギターが育ってきたような感覚があるんですけど、2021年に作ったシグネチャー・モデル(Tamio Okuda J-45)は、手にした時から既に馴染んだような音が出ていましたね。なので赤いギターは、どこか取り残された感じもある(笑)。
“J-45は、良い進化を続けていると思う”
――シグネチャー・モデル(Tamio Okuda J-45)を作った際、ネックの“太さ”にこだわったそうですね。
1945年製モデルのようにしっかりとした低音域が出てほしかったから、自分のモデルを作るなら、それを重視したいなと思いました。あの丸太のようなネックじゃないと、出せない音がありますからね。
――音量やサステインも重視されますか?
やっぱり音量は大事ですけど、サステインはあまり気にしないですね。あとは、激しい扱い
でも耐えられる耐久性(笑)。良くも悪くもギブソンのギターは、個体ごとの癖にもバラつきがありますし、音も荒々しい。それぞれの特徴を楽しむのが魅力であり、それが良いところでもあるかなと思います。
――Tamio Okuda J-45が完成して、初めてサウンドを聴いたときの感想は?
音質の違いはあるものの、低音がけっこう鳴ることにまずは驚きましたね。“最近のギターはすごいな”って思いました。“ヴィンテージはもういらない”って(笑)。
――120本のみ販売され、すぐに完売したそうですね。
たぶん僕のモデルかどうかは関係なく、“ヴィンテージギター仕様”のJ-45を欲しがる人も多かったんじゃないですか。“値段が高くて買えないけど、あの頃のギターを手にしてみたい”という感じじゃないですかね。
――Tamio Okuda J-45がきっかけで、初めて1940年代仕様のJ-45の魅力に触れる方もいらっしゃると思います。
やっぱり1960~70年代頃のJ-45を手にされる方が多いと思いますが、その頃のモデルとはまるで別のギターのように聞こえるので、その音の違いを感じてもらいたいですね。
――先ほど1945年製と1958年製の音の違いについて伺いましたが、逆にJ-45シリーズに共通する特徴や、魅力はありますか?
やっぱり、大きな音量が出せることかな。低音の出方の違いはあるけれど、野生味のある中音域の雰囲気は、ほかのアコギでは絶対に出せない魅力だと思います。あとは、さまざまな形のモデルがあるのに、ネックを持った時の感触に違和感を感じないことかな。そうした一貫して変わらないところがある点は、J-45の魅力だと思いますね。
――民生さんの好きな“J-45の鳴らし方”は?
中低域が注目されがちですけど、ハイフレットで鳴らすBやCの音も良いんですよ。その辺りの音域は、“美味しい”雰囲気がありますね。ほかのギターをあまり知らなかったり、J-45に慣れすぎているだけかもしれないけど、僕としては使いやすいですよ。あとは自分の声とのマッチングも良いと思うので、他のモデルに興味も湧かないというか。
――80周年を迎えたJ-45の今後について、民生さんが期待することは?
最新のモデルも気に入っているので、とても満足しています。あえて何かを言うとすれば……最新モデル(カスタムショップの「マーフィー・ラボ」コレクション)に取り入れられているヴィンテージ・モデルの質感を表現したサンバースト・フィニッシュの可能性に対しては、個人的に凄く期待していますね。これからも、どんどん新しいアイデアが出てきて、実際に形になっていくと思うので、“製作技術の面でも凄く良い方向に進んでいるのかな”と思っています。1945年製の極太ネックや1960年代後半のナロー・ネックを経ての現在地があると考えたら、一言でJ-45と言っても、時代と共に変わり、どんどん弾きやすくなっていますよね。形や大きさはこれからも変わらないでほしいけど、基本的な部分はずっと変わらずに進化を続けているからこそ、今も魅力的なんじゃないかな。
▲1945年製J-45
▲1958年製J-45
▲Tamio Okuda J-45 Red Prototype #02935029
▲Tamio Okuda J-45 #1
◎PROFILE
奥田民生
1965年広島生まれ。1987年にUNICORNでデビュー、1994年からソロ活動を開始。「愛のために」「イージュー★ライダー」「さすらい」を始めとする数多くのヒット・ナンバーを世に送り出す。また井上陽水を始めとするさまざまなアーティストとのコラボレーションや、サンフジンズ、カーリングシトーンズといったユニットでの活動、PUFFYや木村カエラのプロデュースなど、多方面で活躍している。2015年には自身のレーベル『ラーメンカレーミュージックレコード』を設立し、YouTubeでも様々なコンテンツを公開している。
オフィシャルサイト:https://okudatamio.jp/
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