The Art of Strings vol. 6

伊藤 一朗 Ichiro Ito

Profile

横須賀出身でアメリカ軍基地が近かったこともあり、自然と洋楽ロック・ポップなどを好んで聴くようになり、15歳よりギターを弾き始める。知り合いであった五十嵐 充の申し入れに招かれ、「Every little Thing」のギタリストとして1996年CDデビュー。現在では、ソロでバラエティ番組に出演するなど、活動の場を広げる。

THE COLLECTION: 伊藤一朗

伊藤一朗が愛用するギブソンを紹介

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"Phone Jamming"
"Pray for East"

Interview 収録後インタビュー

2023/3/22 at SOUND INN
Interviewer: Tak Kurita Gibson Brands Japan
Special Thanks: Jun Sekino

今日は、エレキギターの王道と言われるレスポールとES-335を弾いていただきました。客観的な視点では、レスポールを持った時は "ロック弾き" のスイッチが入っているように見えましたし、335を持った時は"メロウ・アンド・グルーヴ"のモードに入っているように見えました。
私は55才なんですけれども、335とかクロス・オーバーが流行って・・・そういうイメージがあって。レスポールも元々は違うと思うんですけど、僕が洋楽に夢中になった時ってロックをやっている人はレスポールを使っている人がほとんどでしたので、そういうスイッチが入っちゃうんですかね。

王道と言われるギターは持った瞬間に特定のフレーズが出てくるとか?
特に、こうしたオールド・タイプのレスポールだとジョイント付近っていうんですかね、そこでベンドっていうかチョーキングした時の歪ませた音のうねりがものすごくて「ああ、これだ」って感じになりますね。

伊藤さんが所有する1959年製レスポール・スタンダードは、いつ頃入手されたのですか?
2000年より前だったと思いますね。

さきほど拝見しましたが、入手後に演奏性に関する部分だけに手を入れました?
はい、そうですね。フレットとナット。フレットを抜く時、まあこの先10年ぐらいは使えるようにと指板を整えてもらって。やっぱり電気的に言うと、スイッチとかね、抵抗とか配線素材って言うんですか、(それらは)もう半世紀以上なので寿命だとは思うんですけど触りたくない・・・。

ヴィンテージ・ギターをレコーディングで使う時って、ピッチとかチューニングって気になりますか?
それを言ってしまうと一生合わないですからね。でも思い返せば、僕が幼少の頃に聞いたレコードって、やっぱズレてるんですよね。そのプレイヤーが熱くてシャープしてるとか。まあギターとかの弦楽器はフレットがあるものはシャープする傾向にあると思うんですけど。だから僕は上ずってても、表情が良ければいいと思うタイプなので。
うまく調律された鍵盤とやる時だけ局部的に合うようにずらしてレコーディングしたりとかはありますね。

そのレスポールは、どんな曲やフレーズを使いどころと想定して入手したのですか?
ええと、私はELTやってまして、ELTだとほとんどポップス寄りの全体のサウンドがワイドでコンプがかかってみたいなものが多いので。オールド・ギターっていうとやっぱり "渋いトーン" のイメージがあると思うんですけど、ダンス・ミュージックとかでも、なんかドライヴをゼロのブースターをかましたり、フェイザーの薄いのをちょっとかけておくとか、ちょっとした工夫でいいトラックが作れるんですよね。そういうのに使ったり、あとは速弾きとか複雑なラインを弾かずに、例えば2分音符とか4分音符のメロディを弾くみたいな時に音に説得力があるというか。特にレスポールだと、みなさん今までいろんなロックとかポップとかジャズのレコードを聞いていると思うんですけど「いいね、この音色」ってその音色でOKになってしまうっていう。そういうアドバンテージがものすごくデカくて。僕は元々オールド・ギターよりはキレイで新しいギターが好きだったんですよ。「仕事でそういうのもマスターしとかないとな」と思って入手したんですけれども、今まで自分が聞いてたレコードのサウンドとか、そういうのをすぐに思い出しましたね。

音楽性を高める楽器なのですかね?
その、SNとか音のクォリティうんぬんじゃなくて 「音楽的なシンギング・トーンが出てるじゃん」っていう。手持ちの具材で何とかするんじゃなくて「やっぱこの味だよ」っていう感じなんです、僕にとっては。だから「揺るぎない世界的なサウンドの基準になっているもの」だと思いますね。

レスポールといえば、ELTの初期作品の「Future World」のPVではアイバニーズを持たれていますけど、数か所レスポールを持っているカットがあるような・・・。
よくご存知ですね。あれはですね、やっぱりデビューして間もない頃なんですけど、その頃機材を全然持っていませんで「もうミュージシャンをあきらめて機材を売っちゃおう」って言い始めていた時に、いきなり忙しくなったのでギターをろくに持ってなかったんです。「僕、ギターあんまり持ってないんですよね」って言ったら、不憫に思ったウチの会社の会長が、まあロック好きだったんですけど「じゃあ、オレのレスポールを貸すから、それでちらっとビデオに映ってくれ」みたいな注文を受けたので「じゃあ借りていいっすか?」と。シリーズは忘れたんですけどチェリー・サンバーストのギターですね。

今回の収録で使用された現行モデルと自身のヴィンテージを比較して「すごいそっくりだ」とか、「ちょっと違うな」とか、気づきってありましたか?
最初にしょった瞬間っていうか持った瞬間に大体なんですけど好みの重さ、重量バランスっていうのが、それぞれのギタリストにあると思うんですよ。で、「あっ、これはいい感じじゃないか」と。僕がこういったオールド・タイプのレスポールで好きなのは弾いた時のアタックの感じ。言葉で伝えるのは難しいんですけど、例えば、「バシン」とか「ペチン」とか。じゃあ「ペチーン」だとしますね。その、「ペ」の部分がやっぱり他のギターと全然違うんですよね。レスポールっていうとやっぱり、"サステインのあるギター" っていうイメージもあるかと思うんですけど、僕はその "アタック" がこれだけ速く立ち上がって、そしてそれが音楽的に聞こえるっていうんですかね、それが好きなので、こういうモデルを未だに手放さずに使っているんです。そういったフィーリングがすごく出るのでびっくりしました。最近は楽器に使う木もあんまりないとお聞きするので信じられなかったですね。またルックスがね、すっごく良いと思います。ちょっとフェイドっていうか、緑に見えるところとかね。それとやっぱり僕は「ギターはプレイしてナンボ」だと思うタイプなので、指板まわり、弦が接触するところ、フレットとナットは現在のお仕事に対応できるように換えちゃうんですけど、これはおそらく昔のテイストを持ちつつ現代の音楽にも対応できるように考えてこさえてあって、それが感激しました。手にとった瞬間に仕事に持って行けるっていいじゃないですか。僕は久しく忘れてましたけど「ああ、そういやこの感じだったな」とか今日は感激することがたくさんありました。

The Art of Strings vol.6 ICHIRO ITO Interview

2023/3/22 at SOUND INN
Interviewer: Tak Kurita Gibson Brands Japan
Special Thanks: Jun Sekino

今日は、エレキギターの王道と言われるレスポールとES-335を弾いていただきました。客観的な視点では、レスポールを持った時は "ロック弾き" のスイッチが入っているように見えましたし、335を持った時は"メロウ・アンド・グルーヴ"のモードに入っているように見えました。
私は55才なんですけれども、335とかクロス・オーバーが流行って・・・そういうイメージがあって。レスポールも元々は違うと思うんですけど、僕が洋楽に夢中になった時ってロックをやっている人はレスポールを使っている人がほとんどでしたので、そういうスイッチが入っちゃうんですかね。

王道と言われるギターは持った瞬間に特定のフレーズが出てくるとか?
特に、こうしたオールド・タイプのレスポールだとジョイント付近っていうんですかね、そこでベンドっていうかチョーキングした時の歪ませた音のうねりがものすごくて「ああ、これだ」って感じになりますね。

伊藤さんが所有する1959年製レスポール・スタンダードは、いつ頃入手されたのですか?
2000年より前だったと思いますね。

さきほど拝見しましたが、入手後に演奏性に関する部分だけに手を入れました?
はい、そうですね。フレットとナット。フレットを抜く時、まあこの先10年ぐらいは使えるようにと指板を整えてもらって。やっぱり電気的に言うと、スイッチとかね、抵抗とか配線素材って言うんですか、(それらは)もう半世紀以上なので寿命だとは思うんですけど触りたくない・・・。

ヴィンテージ・ギターをレコーディングで使う時って、ピッチとかチューニングって気になりますか?
それを言ってしまうと一生合わないですからね。でも思い返せば、僕が幼少の頃に聞いたレコードって、やっぱズレてるんですよね。そのプレイヤーが熱くてシャープしてるとか。まあギターとかの弦楽器はフレットがあるものはシャープする傾向にあると思うんですけど。だから僕は上ずってても、表情が良ければいいと思うタイプなので。
うまく調律された鍵盤とやる時だけ局部的に合うようにずらしてレコーディングしたりとかはありますね。

そのレスポールは、どんな曲やフレーズを使いどころと想定して入手したのですか?
ええと、私はELTやってまして、ELTだとほとんどポップス寄りの全体のサウンドがワイドでコンプがかかってみたいなものが多いので。オールド・ギターっていうとやっぱり "渋いトーン" のイメージがあると思うんですけど、ダンス・ミュージックとかでも、なんかドライヴをゼロのブースターをかましたり、フェイザーの薄いのをちょっとかけておくとか、ちょっとした工夫でいいトラックが作れるんですよね。そういうのに使ったり、あとは速弾きとか複雑なラインを弾かずに、例えば2分音符とか4分音符のメロディを弾くみたいな時に音に説得力があるというか。特にレスポールだと、みなさん今までいろんなロックとかポップとかジャズのレコードを聞いていると思うんですけど「いいね、この音色」ってその音色でOKになってしまうっていう。そういうアドバンテージがものすごくデカくて。僕は元々オールド・ギターよりはキレイで新しいギターが好きだったんですよ。「仕事でそういうのもマスターしとかないとな」と思って入手したんですけれども、今まで自分が聞いてたレコードのサウンドとか、そういうのをすぐに思い出しましたね。

音楽性を高める楽器なのですかね?
その、SNとか音のクォリティうんぬんじゃなくて 「音楽的なシンギング・トーンが出てるじゃん」っていう。手持ちの具材で何とかするんじゃなくて「やっぱこの味だよ」っていう感じなんです、僕にとっては。だから「揺るぎない世界的なサウンドの基準になっているもの」だと思いますね。

レスポールといえば、ELTの初期作品の「Future World」のPVではアイバニーズを持たれていますけど、数か所レスポールを持っているカットがあるような・・・。
よくご存知ですね。あれはですね、やっぱりデビューして間もない頃なんですけど、その頃機材を全然持っていませんで「もうミュージシャンをあきらめて機材を売っちゃおう」って言い始めていた時に、いきなり忙しくなったのでギターをろくに持ってなかったんです。「僕、ギターあんまり持ってないんですよね」って言ったら、不憫に思ったウチの会社の会長が、まあロック好きだったんですけど「じゃあ、オレのレスポールを貸すから、それでちらっとビデオに映ってくれ」みたいな注文を受けたので「じゃあ借りていいっすか?」と。シリーズは忘れたんですけどチェリー・サンバーストのギターですね。

今回の収録で使用された現行モデルと自身のヴィンテージを比較して「すごいそっくりだ」とか、「ちょっと違うな」とか、気づきってありましたか?
最初にしょった瞬間っていうか持った瞬間に大体なんですけど好みの重さ、重量バランスっていうのが、それぞれのギタリストにあると思うんですよ。で、「あっ、これはいい感じじゃないか」と。僕がこういったオールド・タイプのレスポールで好きなのは弾いた時のアタックの感じ。言葉で伝えるのは難しいんですけど、例えば、「バシン」とか「ペチン」とか。じゃあ「ペチーン」だとしますね。その、「ペ」の部分がやっぱり他のギターと全然違うんですよね。レスポールっていうとやっぱり、"サステインのあるギター" っていうイメージもあるかと思うんですけど、僕はその "アタック" がこれだけ速く立ち上がって、そしてそれが音楽的に聞こえるっていうんですかね、それが好きなので、こういうモデルを未だに手放さずに使っているんです。そういったフィーリングがすごく出るのでびっくりしました。最近は楽器に使う木もあんまりないとお聞きするので信じられなかったですね。またルックスがね、すっごく良いと思います。ちょっとフェイドっていうか、緑に見えるところとかね。それとやっぱり僕は「ギターはプレイしてナンボ」だと思うタイプなので、指板まわり、弦が接触するところ、フレットとナットは現在のお仕事に対応できるように換えちゃうんですけど、これはおそらく昔のテイストを持ちつつ現代の音楽にも対応できるように考えてこさえてあって、それが感激しました。手にとった瞬間に仕事に持って行けるっていいじゃないですか。僕は久しく忘れてましたけど「ああ、そういやこの感じだったな」とか今日は感激することがたくさんありました。

弾いていただいた楽曲「Pray For East」(2011)と、「Phone Jamming」(2015)はELTのアルバムの中でインタールード的に使われている楽曲ですけど、もともとレスポールとか335で弾くことを想定した曲ではないですよね?
ないですね。ああいったインタールードを作る時って、本当にアルバム作業の最後に時間があったら作るみたいな感じなんですよ。なので、その場にあった楽器を使うことが多いんですけれど、どちらかというと一昔前によくあったアレンジメントみたいな形なので、こういったオールド・タイプのギターもすごく似合うというか弾きやすかったです。

どちらの曲も違和感がなく、まるで想定していたかのように馴染んでたなと思いまして。
特に335を弾いている時は、やっぱり “入り” ますね。あのボリュームを絞った感じとか、すごく気持ちよかったです。

伊藤さんが普段メインで使われているキラー・ギターズのいっくんモデルはマホガニー・ボディですよね?
アルダーのギターもあるんですけど僕が好みなのは軽めのマホガニーですかね。ギブソンだったらSG。SGをロックに使って、ものすごいリフでいい音を出している人がいて、そのコツが低音をちょっとカットすることみたいなんですけど、ウェイトの軽いギターでタイトでヘヴィな音が出ることにびっくりして。それから軽めのマホガニーが好きになったんですよ。これ(レスポール)のバックもそうですけど、マホガニーが結構好きなのかもしれないですね。

スタインバーガーのGTもお持ちでしたね?
やっぱりスタインバーガーは、僕は世代だったので。元々は旅用みたいな感覚で買ったんですけれども、あれほんとにコンディションが変化しにくいので未だに結構使ってるんですよね。

取り回しが良いのはもちろんとして、あのギターならではの使い所ってあるんですか?
いわゆるアクティヴのEMGが載っているんですけど、EMGってなんだか最近は敬遠されがちじゃないですか。でも割とあれもあれで音楽的なピックアップだと思うので僕は好きなんですよね、好き嫌いで言ったら。トーンが年間通じてあまり変わらないので、そういう時に他のサウンドと比べたりという便利さがあります。


自身で機材のメンテナンスを行うとのことですが、機材の知識はどこで学んだのですか?
通常だとプロフェッショナルな方、信頼できる職人さんに預けてっていうのが普通だと思うんですけど、僕はせっかちなのでその場でやってくれないと我慢できないんです。なので自分でやるようになったんです。僕は電気的な知識はほぼないので、自分が使っているギター・アンプとかそういうものは「長年使ってくると、ここが悪くなるなあ」っていうのがわかってきたりするじゃないですか、車のように。やっているのは、そこだけですかね。例えばバイアス調整とかレコーディング前にしていると「この時間があったら他のことしたほうがいいんじゃないかな」とは思うんですけど、やっぱり「前の音と違うね」みたいなことになると困るので可能な限りはセットアップしてから現場で使いますね。

パーツについても研究されてますよね?フロイド・ローズだったら、音質面でカラーにもこだわるとか。
フロイド・ローズは塗装が薄いやつの方が(音の)立ち上がりが良いんですよね。僕はアタックとサステインのどちらを重視するかというとアタックなので、クローム・カラーっていうのかな、ハードウェアはそういうものが好きですね、ゴールドとかブラックよりも。

アタック重視は初期のELTみたいにデジタルの音、キレの良い音楽との融合においてギターの立ち上がりが速くないと対応できないとか、そういうことから?
そうですね。ELTでデビューした当時、もうアナログ・レコーディングからデジタル・レコーディングになっていたのですが、(音声信号をアナログからデジタルへ変換する)コンバーターっていうのがあって、それがピンキリなんですよ。10万円のものから数100万円のものまで。やっぱりいいやつを使われちゃうと真空管アンプで弾いた普通のギターの音は立ち上がりが負けてしまうんですね。「おかしいな?突っ込んで弾いていても何かかっこ悪いな」みたいな。それでいろんな事を考えたんです。そういうアタック・レスポンスの速いものはなんだろうと。まあコンバーターをよくするとか、当時はパワー・ケーブル/電源ケーブルをものすごく効率のよいものに替えたりとか、普通のシールド・コードをものすごくスピードが速くて広域のレンジがあるものに替えたりとか、そういうことをやってましたね。電源もいわゆる日本の弱電で取ってたんですけれど、医療用のなんか電源の波形が良くなるコンバーターみたいなのがありまして、心電図とかそういうものに使うものです。僕の場合はそれが大きいですね。今日は持ってこなかったけど、ギタリストにわかりやすく言うと、今までドライヴ、ゲインを6で使ってたとするじゃないですか。同じ音が4くらいで出るんですよ。つまり、アンプの状態に負荷をかけずにレスポンスのよい歪んだ音が出るんですね。SNも良くなる。その機械っていうのは50キロくらいあって運ぶのがものすごく大変で、100ボルトから取って出てくるのも100ボルトなんですよ。人から「何やってるの?」みたいな目で見られるんですけど。当時はそういう模索がたくさんありました。

必要に迫られてっていう感じですね?
そうですね。それまではギターもどちらかというとプロとして好不調が出にくいタッチが均一で、アタックはある程度までしか出なくて、サステインが稼げるようなギターしか持ってなかったんですけども、それからアタックがきれいで音楽的にワイド・レンジなものが必要だなってことに気づきましたね。

次はキャリアについてですが、地元は横須賀ですね?
そうです。

地元で仲間とバンドを始めて、楽しみながら、そのうち米軍基地の関係者が見に来るバーで演奏していたら、わりとお小遣い稼ぎもできるくらいになったとお聞きましたが。
私がギターをはじめたのが15才ぐらいだったんですけど、高校生になってバンドをやるようになって、やはりロックとかだと高校の学年にうまいプレイヤーが1人か2人くらいなんですよね。で、「どこそこの高校にベースが上手いやつがいるらしい」となると、とりあえず見に行くんですよ、もう圧倒的に絶対数が少ないので。それでお互いに「あいつだったらいけるんじゃないかな」みたいな人と組んでたと思うんです。(横須賀には)いろんな所に米軍の基地があるじゃないですか。そういった兵隊さんが遊ぶようなバーで、兵隊さんが好きそうなロックを演奏すると、なんか気持ち程度ですけどギャラをいただけたりして。そういう状況の中で、僕はその当時まだ若かったんで大変なこともあったんですけど、なんか辛いと思ったことがないんですよね。演奏してノリノリな外人さんとか見ていると楽しくなってくるというか。

横須賀ならではのコミュニティとかムーブメントがあったのですかね?バンドやっている人達の。
僕がお世話になったのは当時、沢田研二さんのバックでギターをやっていた柴山さん(柴山 和彦/エキゾティクス)っていうギターが上手い、カッティング上手い方がいて。それより上の世代だとグループサウンズの方とか。ちょっと演奏できるようなクラブが何件かあったんですよ。ライヴ・ハウスとクラブの中間くらいでモニターが無いような所で演奏するみたいな。そういうのを普通にやってたんで。

音楽をやるには良い環境でしたね。
そうですね。今でこそ、映画とか話題作だと全世界同時公開じゃないですか。当時は日本の配給会社の都合によるんですけど、1~2年前にハリウッドの大作が見れたり、ロックのレコードだったら日本盤が出る数ヶ月前にもう聞けたんですよ。若い多感な時には、それがものすごく刺激になりましたね。

まわりに外国人が多かったとか?
そうです。自分が知らないような「なんとかっていうギター見てきたんだけど、スゲーんだよ」って(その時は)何て言っているかわかんないんです。それがイングヴェイ・マルムスティーンだったんですけど、半年か1年ぐらいしてギターの雑誌を見て「あっ、これのこと言ってたんだ」と。だから私が好きなミュージシャンの、ライヴのブートレッグとかをリクエストするとくれたりして。こういう話をしちゃいけないな(笑)

ヘヴィメタル・バンドをやっていたという話が出ましたが、20才でいきなり髪を切ってポップスに転向されたとか。
僕ですか(笑)そうです。今バンドをやってらっしゃる方って、もっと開けた状態で、例えば自分で事務所を設立して音源を作って「今日からプロで~す」って言ってSNSに音源を立ち上げたら、それでもうプロフェッショナルと言えるじゃないですか。僕らの昭和世代はメジャーと契約することが第一段階の成功っていうか、みんなそれを目指していたんですけれども、日本の音楽の中でロックっていうカテゴリーがあって、その中でもハード・ロックだとリスナーの数が決まってるんですよ。全国でいろんないいバンドがあるんですけど、お客を取り合ってとか、そういう状況に気がつくじゃないですか。メーカーの方を呼んでショウケースを開いてもうまくいかなかったりとか。私、レコード屋さんでバイトしてたことがあるんですけど、やっぱりポップス、歌謡曲とか、そういったものの方が需要があるんですよね。「音楽を生活にしたいんだったら、それを真面目に考えないとダメだろう」みたいな感じになって。で、ポップスのバンドに加入したんですね。

20才でその切り替えができるって早くないですか?バンド仲間はその後もしばらくは「ヘヴィメタルでプロになってやろう」って感じだったのでは?
もう亡くなっちゃってる方も多くて・・・。X JAPANのhideさんとか、あとはスラッシュ・メタルをやっていたユナイテッド(UNITED/1981-)ってバンドがあるんですけど、その方とかがちょうど近かったので。そうですね、彼らのように自分の好きなスタイルで成功してる人を見ると、「わあ、いいなぁ」と思いますけど、全員がそうなれるとは思えないので僕の場合はポップスをやるようになって。今までと違うフレーズとかコードやスケールをたくさん知ったりとか。だから無駄にはなっていないとは思うんですけどね。

それまではパワー・コードでリフを刻んでたのが、ポップスになるとテンション・コードでカッティングとかになるじゃないですか。その切替えはその時にされたのか、それとも元々そういうギターも弾いていたのですか?
僕はバンドマンである前に、やっぱり音楽を聞くことが好きだったので。当時日本でいうと山下達郎さんとか、角松敏生さんとか。ああいう音楽をハード・ロックをやりながら聞いてると、「オマエ本当にわかってるの?」みたいに、ちょっとバカにされるんですよね。それが悔しくて「じゃあ、そういうのもやりたいなあ」と思いましたね。

20代は音楽スタジオで社員をやりつつバンド活動でしたね?
そうですね。

28才のときに五十嵐さん(ELTオリジナル・メンバー)のデモ・テープに参加してギターを入れたんですよね?
彼は当時スタジオに住み込みで、本当に泊まり込みでブッキングのアシスタントみたいなことをやってたと思うんですけど、空いている時間や夜中に「清掃とかを終えたら使っていいよ」という感じだったみたいで自分のデモ・テープを作っていて。打ち込みものだけだと味気ないので、「プレゼンするのにギターを入れてくれ」って言われて、よく青山のスタジオまでギター2本とマルチ・エフェクターを担いで行ってました。

そのオケが打ち込み、デジタルだけなので、そこにエレキギターでハード・ロックのアプローチを入れることでケミストリー的なものを生みたいとか、パンチを出したいとか、そういう発想だったのですかね?
僕はライン録りとかも結構好きなので、そういうダンサブルなものってライン録りとか多いじゃないですか、昔のレコードとか、ダンス・ミュージックとか。まあクロス・オーバーものでも。だから「そういうプレイをたくさんするんだろうな」って思ってたんですけど、五十嵐君は僕が元ハード・ロックをやっていたのを知っていて、わざと「そういうのをたくさん入れてくれ」みたいな感じでしたね。

先見の明ですね。
エイベックスは言ってみればダンス・ミュージックのメーカーなので、ギターを入れるっていうのはよくあったじゃないですか、そういうデジタル・トラックのものに。大抵はやっぱファンク寄りのテクニックが多いんですけど、そういうのじゃなくて、例えば「4分打ちのキックにパワー・コードをダブルで入れろ」とか。その時にはもうヘヴィなロックとか全然聞いていなかったので「また勉強だぁ」って思いました。

最初の頃は伊藤さんがこうしたいと思って入れたギターのフレーズや音にNGが出るとか、そういうこともあった?
シングルを録ってアルバムを作りましょうみたいな流れになる時に、僕はELTに加入したのが最後だったんですけど、もう20代後半なので業界では遅いんですよね。なので「契約が切れたらもう終わりだろう」と思ったので、悔いのないよう自分の思い出になるように・・・。だから「自分をもっと」、「自分のフレーズをもっとたくさん入れてやろう」とか思っていたんですけど、やることはポップなわけですよね。だから「トゥー・マッチなものはいらないから、ポイント・ポイントで泣いてくれ」って。そういう感じはありましたね。やっぱりアマチュアイズムだけではいけないものなんだなあって。

ELTが売れてテレビにガンガン出るようになって、普通の人たち、例えば昔は "お茶の間" って言ってましたけど、そういう場で音楽を見聞きする人達にエレキギター、その音、見場が露出されて、尖ったギター・ソロが耳目に入るって、かなり影響が大きかったはず、あの時代。
あの時代ですからね。

意図的ですよね、きっと。誰が最終的にELTにギターを入れて、そういうアプローチでやっていこうって決めたのですか?
元メンバーの五十嵐君ですね。彼はなんかね、A.O.R.が好きなんですけど、ハード・ロックのギターが大好きなんですよ、僕より詳しいくらいなので。だから、そのコンビネーションが好きだったのでしょうね。

ELTに入られた後、いきなりプロとして制作もライヴをやっていくにあたり、向学のために制作現場とか見に行かれたんですか?先輩ミュージシャンのレコーディングとか。
ELTに限らずポップ・ミュージックをやってると、自分の得意なものを伸ばすか、まんべんなくグラフを伸ばしてバランスの良いプレイヤーになるかのどっちかだと思うんですけど、僕は結果的に自分の得意なものを伸ばすって感じだったんです。ポップスって言っても多様なアレンジがあって「アレンジャーさんが違うと、また違う引き出しがないと」みたいなことがあるので、スタジオ・セッション・ワークをやってらしたギターの方を見学させていただいたりはしましたね。



そういう方々と、それまでの伊藤さんのやり方で一番「これは違うな」って感じたのって?
僕はパーマネントのバンドをやっているので、いち早くトレードマークになるようなギターのトーンとかフレーズの持っていき方、キャラ付けっていうんですかね、それがないとダメだなと思いましたね。セッションでやるには皆さんそういうものを持っているんですけど、カメレオンのように出したり、出さなかったりで。差し引きが上手くないとやっぱりできないものだなあと思いますね。

伊藤さんのギターはエディ・ヴァン・ヘイレンが根っこの部分にあって、その存在が大きいと思いますが、プレイヤーとしてエディが最強なのは誰もが思うところだと思いますが、 "ブラウン・サウンド" って言葉が世界標準になって、ディストーション・サウンドで暖かくてサステインがあって音圧があって、ギタリストであれば、あの音を出したいっていう音を作ってしまった。時代の音を変えてしまうような事ができた人って、そう多くはいないと思うんですよ。
それまでの標準的なトーンってやっぱりあるじゃないですか。まあ奇抜なんですけどジミ・ヘンドリックスとか。僕が思うにブルース・ブレイカーズ時代のクラプトンであるとか、もうちょい後だと有名なのはエリック・ジョンソンであるとか。それぞれなんか聞くだけで、どれだけ自分の人生をその楽器に捧げているのかが何となく分かるような人達なんですよね。そういうトレードマークになるようなトーンを探して皆さん悩み前進していると思いますね。

プレイ面だけではなくて自分のトーンについても同じくらい労力をかけて研究を積む?
たまたま出てくる場合もあるとは思うんですけど、やっぱり偉大な人っていうのは今言ったような人は一朝一夕にはいかないですよね。振り返って俯瞰して見ると、常識にとらわれずにチャレンジしたものがたくさんあったんじゃないかなあと思いますね。そういう偉大な人ほど。

次は身近な話題ですが、パンデミックと言われた時期に家にいる時間が増えたことでギターを買われたとか、ギターをはじめたっていう方が多かったようです。
私もよくお聞きしますね。

でも「みんな今でも弾いてる?」ってなると、一節によるとギターを買った人の9割は諦めるとか、続いてる人が3割いればいいほうじゃないですかとか、そんな話を聞きます。
楽しむために始めたので、もちろん楽しんでいただきたいのですが、でも楽しむためには楽しめるレベルになるように練習も必要じゃないですか?
そうですね。

練習と楽しみのバランスは、どのくらいで考えておけばよいと思います?
やはりギターを手にする方って、例えば好きな曲があって「その曲が弾けるようになりたい」とか、そういう純粋なところだと思うんです。私が幼少の頃ってシンプルで簡単で「これだったら俺も弾けるんじゃないかな」と思うことこそが、ギターを買ってしまうことの衝動だった気がするんです。そういうヒット・チューンをミュージシャン側は作らないといけないんですよ、現代でもね。だから、やっている方にも責任があるような気がしますけど。例えばドラム・キットとかグランド・ピアノって日本の住宅事情にマッチしてないじゃないですか。でもギター1本ぐらいだったら弾いていなくても・・・。こんなにキレイだったらインテリアにもなるしとか、救いどころはたくさんあると思いますけどね。弾かないからって無理に手放すこともないと思いますし、「1本ぐらいだったら取っておいてほしいなあ」と思いますね。自分に子供ができた時にあげたりとか、そういうこともできるし。

弾けない、諦めた、もういらない、ではなくて・・・。
また弾きたい曲が出てくるはずなんですよ。その時のために取っておけばいいと思いますね。「今、練習しているんだけどうまくいかないなあ」って人は皆そうなので。プロでさえもそうだと思うので。だから人生の友に。サイズもいいじゃないですか、楽器として。

伊藤さんの著書の中で気になった言葉があって、「好きな仕事を選んだとしても、その中には必ず好きじゃない部分がもれなくついてくる」って。よく求人広告で「好きを仕事にする」的なフレーズがあります。“好き”を仕事にした場合でも「自分の好きな、やりたい仕事」とセットでついてくる、「好きじゃない、やりたくない仕事」があるはずですけど、その割合はどれくらいだったら「それくらい我慢しよう」って思います?
まずは何か仕事にありつけること自体が世界的に見たらハッピーなことだと。ハッピーというかラッキーなことだと思うんです。全く自分の好きなことだけで仕事として職業として成立させてっていうのは経済的な心配がない人だけが実現可能なわけですよね。仕事って僕の考えは(自分の仕事は置いておいて)嫌なことをした対価にお金をいただくみたいなことでいいと思うんですよ。人って、食事にしても「好きなものだけ食べていると将来きつくなるぞ」ってのは薄々わかるじゃないですか。それと同じように、たとえ自分の本意ではない仕事についたとしても、転職した時にスキルアップできる技術が身につけられたり、例えば社交的じゃない人は営業力が身についたりとか、「なんかこっちも得することに気づくか気づかないか」っていうのがあると思うんすよね。「これは僕好きじゃないからこの仕事やめま~す」っていうのも、人それぞれの選択だからあると思うんですけど。ただやっぱり日本みたいな国だとね、転職をあまりたくさんした人ってあんまり信用されてないっていうか、同じ職をずっとやってた人のほうが「この人、真面目なんだな」って思われるじゃないですか。そこら辺も考えないといけないんでしょうね。なんか世知辛い話ですね。

かなり説得力がありますよ。
僕は音楽が好きで音楽関係の仕事をありがたいことにまだ継続させてもらっていますけども、例えばギター・プレイヤーだったらギターが上手いだけで一生食っていけるかっていったら、そうではないですしね。

伊藤さんの人生を振り返ると、大学に進学しないで音楽を続ける方を選んだ、音楽を仕事にするために顧客数が多いジャンルを選んだ、ELTの牽引役だった五十嵐さんが脱退された際には解散という道もあったけど続ける方を選んだ、近年では楽器を持たないでテレビに出ることを選んだ。すべて考え抜いて、その時の最適解と思えるものを選んでいますよね、きっと。
いや、どうでしょうね。振り返ればそういう風に思えたりもするんですけど。僕がメジャーなレコード・メーカーからデビューすることは子供の頃のひとつの目標だったんですけど、それがかなった時に、「これで100%ギターのための人生が送れる」って思ったんです。普通そういう風に勘違いするじゃないですか・・・。「1日中ギターを弾いてていいんだ」って思ったんですけど、やっぱり僕らみたいなグループはそういうことよりも「プロモーションを頑張りなさいとか」、「テレビもできるだけ出ましょう」とか、そういう方向性があるので「100%は音楽に使えないんだ」みたいな、4割5割できればいいほうなんだなっていう現実に向き合った時に、すごくショックだったんですよね。それが仕事の厳しさとも言えると思うんですけど。僕の人生は、あまり他人の参考にはならないとは思うんですけれども、例えば楽器のプレイヤーの人って楽器を持たずに仕事に行くって、それ変じゃないですか。僕がある時に思ったのは、プロの方は皆さん腱鞘炎とか怪我をして手が動かなくなった時が何回かあると思うんですけど、その時に「楽器やめたらオレ他に取り柄あるかな?」って考えて落ち込んだ時があるんですよね。それで音楽芸能の世界にいるんだったら「他に何かできることあるかな、そうだな人を笑かすことってめちゃくちゃ難しいんですけど、笑われるんだったらハードルが低いなあ」と思って、そういうバラエティ番組にたくさん体ひとつで行ったりとか・・・。そういうのは今振り返ってみるとなんか要因がある、それを肯定するものがあるんだなぁっていうのは感じますけど。

では最後にファンの方へのアドヴァイスとして、ひょっとしたら自分の人生を大きく変えてしまうような決断をしなくちゃいけない時、決め方の法則的なものはありますか?
やっぱり人が通常できること、それは努力であったり、勉強であったり、体力や体に気をつけるとか、やれることはたくさんあると思うんですけど、それを全部みんながやってたとしたら後は本当に抽象的ですけど、運とか風向きとかそういうものでしか差がないと思うんです。僕の場合は、たまたまそれが良かったから今があるようなもので。自分の心に嘘をついて、やりたくない人生とか、やりたくない音楽をやるよりも、成功しなくてもいいから好きな音楽をやっているバンドとか、たくさんいるので、そういう人を見ると、すごくわかりやすくて、すごくピュアでいいなと思いますね。我慢して、我慢して、我慢したんだけど結局何もなかったといったら、ちょっと寂しいじゃないですか、自分の人生を振り返った時に。緩やかに楽しめるものって、まあ音楽に関わらず人間には必要だと思うので。そういう時は自分の風まかせじゃないですけど、自分の心の中の声に正直にいたほうが振り返った時に「ああ、いい人生だったなぁ」と思えるんじゃないかなあと思うんです、最近。


収録を終えて

栗田隆志 Gibson Brands Japan

今回、レスポールとES-335を手にした時のいっくんの表情は、どこか懐かしい旧友に再会したかのように見えました。ヴィンテージ・ギターを弾くと、その音で子供の頃に聴いた大好きだった曲、聴いた部屋、その時の気分が蘇ることがあるそうです。

収録に使われたマーフィー・ラボの2本はヴィンテージではありませんが、ヴィンテージのトーン、ルックス、フィーリングを内在しています。 今回の収録で、まだ音楽が仕事ではなかった頃、大好きな音楽を聴き、地元横須賀で仲間とバンドを組み、練習にあけくれ、基地の米兵相手に演奏したら喜んでもらえて嬉しかった。そんな自身の原点となる時代を思い出したのかもしれません。

これは楽器に限ったことではなくて、ELT(Every Little Thing)のファンの皆さんにも思い当たることありませんか?若い頃に聴いた曲を今あらためて聴くと、その頃、自分が会っていた人たち、いた場所、見ていた景色が蘇るという経験。それは脳科学の領域かもしれませんが、音と音楽には明らかにそんなタイムマシン的な力があるように思えます。科学的なことはわかりませんが、ELTには記憶を引き出すトリガーとなる名曲が数多くあることはわかります。それらは多くのファンにとって過去の自分と向き合うインターフェイスとして、生涯かけがえのないものでしょう。

インタビュー後半はフィロソフィー的な内容にふれました。事前に資料として読んだ本人の著作「ちょっとずつ、マイペース。」の“ユルくて深い、いっくん哲学”について聞きたかったため。 著書の中で本人は、風まかせ、自分はたまたま運が良かったと書き綴りますが、私にはELTを結成するにあたり、五十嵐さんがいっくんにギターを頼んだのが、たまたま、偶然だったとは思えません。「一生音楽の仕事をしていたい」、「死ぬまでギターを弾いていたい」と人生を楽器に捧げることを決めた、いっくんの音と音楽に対するアティチュードが、常にまわりの人たちや事を動かしてきたのではないかと考えてしまいました。

自身のYouTubeチャンネル「いっくんTV」は、エンタテイメントとして成立させるというプロの仕事をしつつも、ファンとのタッチポイントという大きな意味を持っていますし、“マイペース”という言葉は、「自分はこうあるべき」を変えない人や、「ゆるりと楽しむ」的な意味で使われることが多いですが、本人は「お互いが認め合える寛容な世の中になるためのコツ」として著書を締めくくっています。 運で生きている人ではなくて、人一倍思慮深い人なのだと思いました。

Product 使用ギターの仕様と特徴

1959 LES PAUL STANDARDGREEN LEMON FADE HEAVY AGED

ブリティッシュ・インヴェイジョンの中で登場したドライヴ・サウンド(歪ませた音)を伴うブルース・ロックは、70年代以降のロックの音を決定づけた。レスポールを始めとするソリッド・ギターと大型チューブ・アンプとの組み合わせで作られていた初期のドライヴ・サウンドは、80年代に飛躍的に発展したエフェクター類やマスター・ボリューム付きのアンプ、そしてパワフルなギターとギタリスト達によって個性的かつ幅広いサウンドへと多様化していった。レスポール・モデルはハード・ロックを牽引するギターとして人気を博すると同時に、多くの革新的ギタリストたちを支える相棒でもあった。自作のギターでブラウン・サウンドを作り出したエディ・ヴァン・ヘイレンが愛用したサンバースト・レスポールを筆頭に、その後のスタジオ・サウンドの方向性を決定づけたスティーヴ・ルカサーがキャリア初期に多用していたゴールド・トップやサンバースト・レスポール、ロック・フュージョンを生み出したジェフ・ベックやアル・ディメオラが愛した50年代レスポール、ギター全体をフレイム・メイプルで覆ったカスタム・メイド・レスポール(スーパーカスタム)を使用してメロディアスなギター・ソロを奏でたジャーニーのニール・ショーン等、歴史に刻まれるプレイとサウンドが作られていった。

レスポール・モデルにサンバーストが採用されたのは1958年半ば。それまでのギブソンのアーチトップに使われてきたブラウン・サンバーストではなく、鮮やかなチェリー・サンバーストで、ボディ裏側もチェリー・レッド仕上げだった。それはギブソンが初めて使用したチェリー・カラーでもあった。ギブソンではイエロー、レッド、ブルー、ブラックの各色を独自にミックスすることで、鮮やかで深みのあるチェリー・レッドを作り出した。しかし、初めての試みだったこともあり、この時期のチェリーは赤味が早々に褪色してしまうという問題を招くことになった。このため最終的にボディ・トップ全体が淡い琥珀色へと経年変化する過程で、色ごとに退色してゆく速度に差があるため、本来は同じチェリー・サンバーストとして生産、出荷されたレスポールは、ギター毎に異なる色合いへと変化していった。そして、偶然生み出された姿がヴィンテージ・ギターならではの個体差と円熟味として多くのファンを生んでいる。

各色の中では赤味成分の褪色が先行するため、チェリー・サンバーストは、様々な淡いブラウン系のサンバーストへと色合いが変化してゆく。ダークな色合いのチェリーには青色成分が多く含まれており、これは赤色よりも褪色が遅い。そして、カラーの上層にあるトップ・コートのクリアー・ラッカーは、時間と共に黄ばんで琥珀色へと変化する。その結果、一定の条件下で下地のイエロー、褪色の遅い青色成分、その上の黄ばんだクリア層が重なることで、本来のチェリーとは大きく印象の異なるグリーン系のサンバーストへと変化したものも見受けられる。今回、伊藤氏が演奏したレスポールは、前述したメカニズムにより、リム部分がグリーンがかった色合いへと変化した様子を再現したグリーン・レモン・フェイド。退色が進む過程で現れるこのカラーに合わせて、ボディ・バックもまたチェリーが煉瓦色へと変化した様子に仕上げられている。マーフィー・ラボに4種類用意されたエイジド加工の3段階目となるヘヴィー・エイジド加工が施されたこのギターには、ラッカーのウェザー・チェック・クラッキング、場所によって異なる退色の濃淡に加えて、ピックアップ・カバーやブリッジ/テイルピース等のハードウェア類にも経年変化や弾き込まれた様子を模したエイジド加工が施されている。

1964 ES-335SIXTIES CHERRY ULTRA LIGHT AGED

ES-335に代表されるセミ・アコースティック・ギターは、ソリッド・ギターとエレクトリック・アーチトップを橋渡しするモデルとしてギブソンによって開発され、1958年春に発売された。その背景には、ボディの小さなレスポールよりも従来のアーチトップに近いトーンと弾き心地を備えたモデルの方が市場に受け入れられやすいというギブソンの思いがあったのかもしれない。2枚のメイプル板の間にポプラを挟み込んで作られた専用プライウッドをプレス加工することで作られた16インチ幅のアーチド・ボディは、ソリッド・ギター同様の厚みに設定され、ボディ内の中央部分にはメイプル製のブロックがボディ全体を貫くようにセットされている。そして、最終22フレット位置までをボディから露出させた斬新なダブル・カッタウェイ・シェイプもまた初めての試みだった。

発売当初のES-335は、アーチトップ譲りのブラウン・サンバーストもしくはナチュラル・ブロンド仕上げで、2つのハムバッカー、チューン "O" (オー)マティック・ブリッジ/ストップ・バー・テイルピースというレスポールと共通するハードウェアで構成されていた。ドット・ポジションマークが入れられたローズウッド・フィンガーボードは、発売当初はノンバウンド状態だったが直ぐに両側にバウンド加工が施されるようになる。1960年の後半にはナチュラルと入れ替わる形でチェリー・フィニッシュが採用され、1961年にはピックガードが今まで使われてきた汎用サイズから、このモデル専用に作られたショート・サイズへと変更された。また、ボディ内にセットされたメイプル・ブロックは、ヴァリトーン・ユニットを組み込むためにブリッジ・ピックアップ位置がくり抜かれたES-345/355と共通したものが使われるようになる。次にES-335に大きく手が加えられたのは1962年の半ば。ドット・タイプのポジションマークがパール柄のセルロース・ニトレイト製のブロック・インレイへとグレードアップされた。クリーム時代のエリック・クラプトンが愛用したことで知られるのが1964年製。この頃のモデルでは、ボディ両側のカッタウェイ・ホーンがやや尖った形となり、翌65年からはハードウェア類がニッケル仕上げからクロム仕上げへと変更されてゆく。ネックにはマホガニー材が使われているが、他のギブソン・ギター同様に年代によって形状が変化してゆく。1958年のファットなグリップは徐々にスリムになり、1960年にはフラット・アンド・ワイドと呼ばれる最も薄い形状となったが、数年後には再び中程度の厚みへと戻されてゆく。今回の収録で使われた64年スタイルが再現されたギターは、ヴィンテージ・ギターからスキャンされた中程度の厚みのミディアム・C グリップが再現され、マーフィー・ラボで用意された最も軽いウルトラ・ライト・エイジド加工が施されている。ブリッジ・サドルは本来ナイロン製だが、収録にあたり楽曲に合わせたセッティングとするため50年代スタイルのブラス・サドルに換装されている。
ブリッジ・ピックアップを使ったレスポールさながらのハードなドライヴ・サウンドから、アーチトップを彷彿とさせる奥行きと艶のあるネック・ピックアップ・サウンドを作り出すことができるES-335は、多様なギター・トーンが要求されるようになった70年代以降のスタジオ・ワークにおいて「今回は335で」とギターが指定されるほどの信頼と人気が寄せられた。

製品はギブソン傘下に加わったリフトン・ケースによって、ヴィンテージのスペックに基づいて再生産されたハードシェル・ケースに収められている。

文:關野淳
大手楽器店、リペア・ショップを経て、現在は楽器誌、音楽誌で豊富な知見に基づく執筆を行うヴィンテージ・エキスパート&ライター。