The Art of Strings vol. 5

北島 健二 Kenji Kitajima

Profile

19歳でプロになり、40年以上にわたり超一流と評価されてきた、日本を代表するギタリスト。レコーディング、ライブセッションにおいて絶大な信頼をおかれ、長きにおいて日本の音楽界を支え続けてきた。アーティストとしても1981年にリーダーアルバムを出しソロデビュー。その後自身のバンド、FENCE OF DEFENSEを結成。現在も活動を続けている。1996年にはジェフ・ベックが在籍していたBBAのカーマイン・アピス(Drums)、ジミー・ペイジのバンドでも活躍したトニー・フランクリン(Bass)、田村直美(Vocal)と共にPEARLを結成。プロのミュージシャンからも高い支持を得ながら、近年はエンジニアもこなせるプロデューサーとしても活動の幅を広げ、若い才能の発掘にも力を発揮している。また、水樹奈々を始めとする数々のアーティストのLIVEにサポートとして参加。プロデビュー以来片時も休まず精力的に活動している。スピーディーでスリリングなギタープレイはアマチュアのギターキッズのみならず、現在プロとして活躍している多くのミュージシャンからも憧れの的、目標として注目を浴び続けている。

THE COLLECTION: 北島健二

北島健二が愛用するギブソンを紹介

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"Morning Sun"
"A Criminal Aesthetics"

Interview 収録後インタビュー

2022/10/28 at ON AIR Okubo Studio
Interviewer: Tak Kurita Gibson Brands Japan
Special Thanks: Jun Sekino

北島さんが全幅の信頼を置いているレスポール・クラシック・プラスのチェリーですが、譲り受けたものですよね?
叔父さんの形見です。もう亡くなられて随分経つんだけども、僕がこういう仕事なんで「ぜひ使ってもらいたい」って叔母さんから譲り受けました。

初めて弾いた時に何か感じるものがあったのですか?これはいいなとか、使えそうだなとか。
「ライブで使ってみよう」と思って、何回か使っているうちに「これ、すごい良い楽器だな」ってわかってきて。やっぱり大きな音で人前で鳴らしたほうがわかるので。徐々に好きになったという感じですかね。

良い楽器と感じるものと、そうでないものとの違いって何でしょう、一言でいうと?
一言のほうが難しいな(笑)

何言でも大丈夫ですよ(笑)
担当はギターなんでギターでいうと、1弦から6弦までの差があまりないっていうのが一番大きいですかね。良くない楽器は6弦の音が太すぎたり1弦の音が細すぎたりするんですけど、良い楽器は6本の弦がわりと同じところにいるというか、音を作る時にかたまり感が出しやすいですね。

出音のバランスが良くて、音がひとつのかたまりになって出てくるイメージですかね。
そうですね。

では、今日お持ちいただいたレスポールが北島さんのギブソンのベンチマークになっていると思いますが、収録に使用されたマーフィー・ラボは、自身のものと比べて「違うな」とかありましたか?
レスポールを何本も、人のも含めて弾いてきたけれども、けっこう個体差があるなと思っていて、その中では(メインのレスポール・クラシック・プラスと今回弾いたレスポールが)ちょっと似たところがありますね。さっき言った1弦から6弦までのバランスがすごく揃っているので、そういう意味では弾きやすいですね。

もう1本のSGはどうでしたか?
高校2年の時、アルバイトでお金を貯めて初めてギブソンのギターを買ったのがSGです。なぜならば、レスポールは35万くらいしたんですけど、SGだと22万5千円かな。レスポールが欲しかったけど高かったのでSGを買って、高校2年、3年の途中まですごい弾き倒してたんで、SGはちょっと愛着があるんですよね。その時買ったやつが、すごく太いネックで。今回のはレスポールがそれに近い太いネックだったけど。SGを弾き倒した後は、わりと薄いネックは弾きづらいなっていう・・・。太いネックに慣れてしまった。そういう思い出があります。

当時SGを弾くにあたって参考にしたギタリストとか音楽とか、バンドってありますか?
楽器によって変わるってことは多分そんなになくて、ずっと小学校から中学、高校まで、当時リアルタイムで流れていたバンド、アーティストで好きなものをコピーして弾いていたのが、「ついにギブソンを持ったんだぞ」ってことで、だいぶ個人的にはあがって、より熱心に運指練習をしたりとか、モチベーションがあがったってのはありますね。

キャリアの初期に使われていたESPのSTタイプは、最初は3シングルコイルだったものを後にハムバッキング・ピックアップにモディファイされたのですか?
もとはといえばアル・ディメオラが、ディマジオのピックアップをレスポールに換装するっていうことを流行らせて、「ピックアップって変えていいんだ」って僕らもびっくりして。で色々なメーカーが出てきたと思うんだけれども、先ずビル・ローレンスのピックアップに替えましたね。(シングルコイル・サイズのハムバッカー/L-220 x3)多分その時、マクサス/マイケル・ランドウにすごく感動してたんだけれども、「彼がビル・ローレンス使ってるんじゃないか」っていう不正確な噂が流れて、「ヨシ!」って替えてみて、しばらく使って、それから「やっぱり、ハムバッキングいいな」って、ハムバッキングに替えてからずっとそのままですね。

キャリアの中でハムバッキング・ピックアップがほとんどいっても過言ではない?
そうなんですよ。ギブソン/フェンダー論争ってのがありますけど、僕はハムバッキング・マイクがついていればそれでいいっていう。「ハムバッカー」なんですよね。まあそういいながら最近シングルコイルをよく使うんだけど。基本は中学からずっと「ハムバッカーが付いてれば満足」っていう。そのトーンが一番好きで、自分のキャラクターだと思っています。

The Art of Strings vol.5 KENJI KITAJIMA Interview

2022/10/28 at ON AIR Okubo Studio
Interviewer: Tak Kurita Gibson Brands Japan
Special Thanks: Jun Sekino

北島さんが全幅の信頼を置いているレスポール・クラシック・プラスのチェリーですが、譲り受けたものですよね?
叔父さんの形見です。もう亡くなられて随分経つんだけども、僕がこういう仕事なんで「ぜひ使ってもらいたい」って叔母さんから譲り受けました。

初めて弾いた時に何か感じるものがあったのですか?これはいいなとか、使えそうだなとか。
「ライブで使ってみよう」と思って、何回か使っているうちに「これ、すごい良い楽器だな」ってわかってきて。やっぱり大きな音で人前で鳴らしたほうがわかるので。徐々に好きになったという感じですかね。

良い楽器と感じるものと、そうでないものとの違いって何でしょう、一言でいうと?
一言のほうが難しいな(笑)

何言でも大丈夫ですよ(笑)
担当はギターなんでギターでいうと、1弦から6弦までの差があまりないっていうのが一番大きいですかね。良くない楽器は6弦の音が太すぎたり1弦の音が細すぎたりするんですけど、良い楽器は6本の弦がわりと同じところにいるというか、音を作る時にかたまり感が出しやすいですね。

出音のバランスが良くて、音がひとつのかたまりになって出てくるイメージですかね。
そうですね。

では、今日お持ちいただいたレスポールが北島さんのギブソンのベンチマークになっていると思いますが、収録に使用されたマーフィー・ラボは、自身のものと比べて「違うな」とかありましたか?
レスポールを何本も、人のも含めて弾いてきたけれども、けっこう個体差があるなと思っていて、その中では(メインのレスポール・クラシック・プラスと今回弾いたレスポールが)ちょっと似たところがありますね。さっき言った1弦から6弦までのバランスがすごく揃っているので、そういう意味では弾きやすいですね。

もう1本のSGはどうでしたか?
高校2年の時、アルバイトでお金を貯めて初めてギブソンのギターを買ったのがSGです。なぜならば、レスポールは35万くらいしたんですけど、SGだと22万5千円かな。レスポールが欲しかったけど高かったのでSGを買って、高校2年、3年の途中まですごい弾き倒してたんで、SGはちょっと愛着があるんですよね。その時買ったやつが、すごく太いネックで。今回のはレスポールがそれに近い太いネックだったけど。SGを弾き倒した後は、わりと薄いネックは弾きづらいなっていう・・・。太いネックに慣れてしまった。そういう思い出があります。

当時SGを弾くにあたって参考にしたギタリストとか音楽とか、バンドってありますか?
楽器によって変わるってことは多分そんなになくて、ずっと小学校から中学、高校まで、当時リアルタイムで流れていたバンド、アーティストで好きなものをコピーして弾いていたのが、「ついにギブソンを持ったんだぞ」ってことで、だいぶ個人的にはあがって、より熱心に運指練習をしたりとか、モチベーションがあがったってのはありますね。

キャリアの初期に使われていたESPのSTタイプは、最初は3シングルコイルだったものを後にハムバッキング・ピックアップにモディファイされたのですか?
もとはといえばアル・ディメオラが、ディマジオのピックアップをレスポールに換装するっていうことを流行らせて、「ピックアップって変えていいんだ」って僕らもびっくりして。で色々なメーカーが出てきたと思うんだけれども、先ずビル・ローレンスのピックアップに替えましたね。(シングルコイル・サイズのハムバッカー/L-220 x3)多分その時、マクサス/マイケル・ランドウにすごく感動してたんだけれども、「彼がビル・ローレンス使ってるんじゃないか」っていう不正確な噂が流れて、「ヨシ!」って替えてみて、しばらく使って、それから「やっぱり、ハムバッキングいいな」って、ハムバッキングに替えてからずっとそのままですね。

キャリアの中でハムバッキング・ピックアップがほとんどいっても過言ではない?
そうなんですよ。ギブソン/フェンダー論争ってのがありますけど、僕はハムバッキング・マイクがついていればそれでいいっていう。「ハムバッカー」なんですよね。まあそういいながら最近シングルコイルをよく使うんだけど。基本は中学からずっと「ハムバッカーが付いてれば満足」っていう。そのトーンが一番好きで、自分のキャラクターだと思っています。

ハムバッカーの中で好みはありますか?例えばハイパワーか、パワーそこそことか。
たとえばひとつの楽器のピックアップを替えて、元のピックアップの楽器と二つともあったとして、その場で鳴らしたら音がでかい方に負けちゃいますよね、人は。ピックアップの高さ調整ってのを僕はよくやるんだけど、ギリギリまで上げればそれで良いものではないっていう。上げるとパワーは出るしクッキリするんだけども、下げたときの、何ていうのかふくよかさみたいな。サステインも弱くなるんだけども、エレキ・ギターにはありがたいデヴァイスがいっぱいあるので、すごく歪むファズかなんか繋げたら最終的に出る音は良いものが出たりするので。ピックアップは何が好みってのは、今のところリファレンスはダンカンの59でしたっけ?(SH-1/59モデル)やっぱり古いギブソンをシミュレートしているっていう。バキバキにはパワーが無いほうが、その後のイジリがいがあるかなって僕は思っています。

過度なハイパワーではなく、楽器自体の音を自然にアウトプットしてくれるっていう。
そうですね。やっぱりハムバッカーの中でもニュアンスをちゃんと出したいなっていうのがあるので。いたずらにハイパワーじゃないほうが表現力があるんじゃないかなと感じてます。

その表現力に触れたいと思ってたんです。収録を見ていたところ、ボリュームのコントロールで歪の量を加減していますよね。ソロにいくときはボリューム・マックスとか。
そうですね。ライブ仕様みたいな感じかな。レコーディングではあまりそういう事はしないけど。オーバー気味に歪ませておいて、ちょっとボリュームを下げるとニュアンスが出やすいっていう。

北島さんのサウンドって、歪んではいるんですけど1音1音がクリアで輪郭がはっきりしていて、ピック弾きなんですけど指弾きで弾いているかのように表現力というかニュアンスをものすごく大切にして弾いている印象を受けました。そういう演奏をするにあたり、「アンプ、エフェクターは、こうセッティングする」っていうのはあるのですか?
まさに今言われた輪郭っていうのはすごく自分が大事にしていて、「こっから自分だ」っていう、「ここからオレだからね」みたいな。そういうのは常に意識しています。特に同じ楽器が複数ある場合、すごく大事なサウンドが混ざってよくわからないような「自分はどこにいるんだ」っていうのが分かりにくくなるのは嫌なので、輪郭を出すっていうのが一番の命題ですかね。

北島 健二

今日の演奏のサウンドは僕ら世代というか、おそらくはマーフィー・ラボというエイジド製品に惹かれる世代として嬉しかった。「やっぱ、これだよな」って。マーシャルとレスポール、SGで、そこにプレイヤーの表現/入力によって出てくる出音っていうのがロックの王道というか、「そうだよな、こういう音を聞いてきたんだな」って。とはいえ、最近はデジタル系のアンプも高性能になってきてギタリストの方でも使い分けるパターンが多いですよね。
そうですね、僕も使っているし。いろんな音のキャラクターがある中のひとつなのかなって思うんです。自分の音でも昔悩んだこともあるけど、今は「自分は毎日違う」っていうふうに思っているんです。スタジオでセッティングしっぱなしのアンプとマイクとで5日間くらいギター・ダビングするような時、そのまんま放っといて帰って翌日また来てそのまんまやるって時に、昨日と音が違うんですよ。「アレッ、音違うなぁ、なにも変えてないのに」って。それが最初は嫌だったけど、「自分は毎日違う」っていうことにしたらすごく安心して。音っていつも違う、変わることが普通で。だからデジタルの話に戻ると、そういうデジタルのアンプのキャラクターっていうのがあるって思っていて、その中で自分が気に入ったものを作ればいい。色んな種類の楽器があるように、デジタル製品、アナログのアンプ、エフェクターっていう。だからもう、そんなにデジタルだからどうこう、アナログだからどうこうってのは、あまり考えてないですね。

あえて線引する必要はない?
線引する必要はない。特色は自分なりにちゃんと掴んどかないとってのはあるけれど、そこに線があるってことはないですね。

昔からコンパクト・エフェクターであんなにシンプルなセッティングではないですよね?時代によっては冷蔵庫みたいなラックを組んだりとか?
冷蔵庫ありましたよ。ローディがかわいそうな感じの「これ持たせるのか」みたいなの。まあ流行りですからね、あれもね。もう無くなっちゃいましたね。今またコンパクトを足元いっぱい置いてあるじゃないですか。あれやりたいなって今頃思うんだけど、若者は最近オール・イン・ワンの方に流れていってるって話を聞いて、ますます組もうかなって。やっぱり人と違うことをやりたいので。でも、組むのは“歪み”。この前40代ぐらいの同業者と話して、彼の機材を見て、大きなボードに10何個くらいエフェクターがあるんだけど、その内半分歪みで、「気に入った!」って思って、今グッときてます(笑)

そこに行くかもしれない?
そこに行くかも・・・。

ファズだけで3つ入ってたり?
いいですねー。

次は北島さんのキャリア、ミュージシャンとしての過去から今までのことに入っていきたいです。最初はスタジオ・ギタリストの活動ですよね。
一番最初はライブをやったんで、その後です。

僕らの記憶だと昔の歌謡曲って歌手の方が前にいて、後ろがビッグ・バンドでしたよね。
そうですね、(ダン)池田さんとかね。

それがいつの頃からかバンド・スタイルになっていくじゃないですか、バックが。
そう・・ですね。

楽器の編成が変わったのでアレンジも変わっていって。海外のポップスとか、そういうものの流れから、その方向に行ったと思いますが、その変化の時ってどういう状況だったのですか?
色々な要因があると思うんだけれども、僕の感覚でいうとTOTOのような、ああいう集団があって、バッキング・ミュージシャン/セッション・ミュージシャンなんだけども、アーティスト性があるっていうのに憧れがありました。昔のシステムを知っているわけじゃないんで話にしか聞いてないけれども、オーケストラっていうかビック・バンドがいて、「せーの」で録る時代から、だんだん日本は変わってきて、その中でアレンジャー/編曲家の人が全部演奏を指定するんじゃなくて、ミュージシャンを呼んで「ここをこんな感じにしたいんだけど、どう?」みたいな感じで、その人がミュージシャンひとりひとりからヘッド・アレンジのアイディアを引き出すっていう。それで昔にはなかった新しいエッセンスというかアレンジの方向へ変わってきた中に、ちょうどタイミングよくというか、入っていったんじゃないかなと思うんですよね。自分はそれがすごく得意なのかどうかは今でもわからないけど、わりと僕ハードロック小僧だったので、自分の好きな形で弾くと喜んでもらえることが多くてラッキーだったなと思います。

以前のスコアが用意されていた時代から、アレンジャーの方がミュージシャンの方が持っている引き出しの中から気に入ったものを選ぶ時代になった?
そうですね。

先ほどハードロック小僧とおっしゃっていましたけど、ジェフ・ベックはもちろん、ラリー・カールトンとかスティーヴ・ルカサーとかロベン・フォードとか、そういうものも薫りますよね、北島さんのギターからは。
やっぱり好きでしたよ。そこから本格的にジャズ/フュージョンにいくかっていうと、いかない。そこからもう一歩足を踏み入れようとすると、自分はあんまり興味がないみたいで。ロベン・フォードのジャズのスケールにいきそうになってすぐ戻ってくるみたいな。あの時代が一番好きだし、常にスリリングっていうのかな。でもカールトン大好きでスティーヴ・ルカサーも大好き。

時流というか最先端のものも押さえつつ、自分の軸はやっぱりこれだってものがきっちりあったということですね。
それは自分は意識していない動きようのない自分の好みが変わらずあると思うので、それが自分の個性になっているかもしれない。

アレンジャーの方からすると、「これ録るんだったらあの人だ」、「これ録るんだったら北島健二だ」っていう感じですかね。
僕を呼ぶときのエッセンスっていうのがね。例えば「リフをここに入れたい」ってなった時、今まで経験のない人が頑張ってリフのメロディ書くよりは、散々そういうのをやってきた人を呼んで、「なんかあの曲のあれみたいなやつ」、『こんなのかな?』、「いや、そうじゃなくて」、『じゃあ、こんなのかな?』、「あっ、それそれ」っていう。その方が直球で早いですよね。

その流れで北島さんが呼ばれた楽曲、アーティストが吉川晃司さん、アン・ルイスさん、あと尾崎豊さんもそうですよね。
やりました。

アン・ルイスさんの「六本木心中」、代表曲ですけれど鳥山雄司さんと2人でギターを録った?
そうなんですよ。伊藤銀次さんアレンジで。銀次さんにもよく呼んでもらったけど、彼はちゃんとビジョンがあって。リズム・ギターの感じは新しいサウンドとエッセンスみたいな。多分ラインで録ってるんじゃないかな。で、被ってくるリード・ギターは“情熱バリバリ”みたいな感じのを上に乗せるっていう。僕はギター・ダビングに行って、もうリズム録りは終わってて、「チャッ、チャッ、チャーン、チャララ、チャラララ」はもう入ってて。

それが鳥山さん?
よく人に聞かれるんだけど、「あれは、鳥山雄司が弾いています」。

当時、鳥山さんとは一緒になることが多かったのですか?
鳥山君もたまにあるけど、僕、意外に鈴木茂さんとツイン・ギターで呼ばれることが何回かあって。僕もすごく好きな尊敬するギタリストなので嬉しかったし、何かちょっと相性いいみたいなのがありますね。

歌謡曲にハードロック風のギターを取り入れた第一人者が北島さんだと思うのですが、当時同じようなスタイルの方っていました?
スタジオ業界っていうか、スタジオ界で同業者を見渡すと僕が一番最右翼かなと思うんですけど。でもハードロックがイギリス寄りのものだって、まずいっぺん決めつけたとすると、アメリカよりのロックっていう人はいますよね、誰がとは言わないけど。僕はすごいイギリスだったんで、そういう人はあまりいなかったかもしれない。

アン・ルイスさんの曲もそうですけど、歌謡曲にハードロックのギターをマッチングさせるっていうアレンジはどうやって始まったんですか?誰かが仕掛けたんですかね。
誰かがじゃなくて時代の流れがそうなっていたような。ウェブで流行る言葉もそうだけど、誰かが言っちゃったのをみんなが「その間違い、いいね」みたいな感じで増えていくじゃないですか。いっぺんそういうエッセンスを入れてみたら「あっ、それいいね」っていう。リスナーも作る側も他の人達も、そういう時代の潮流があったんじゃないかなと思うんです。

日本の音楽で面白いのは、例えば演歌でもエレキ・ギターのイントロで始まったり、合いの手みたいなギターのフレーズが入ったり、歌謡曲にハードロックっていうマッチングもありで、その後は女性ボーカル、ユーロ系の音楽にハードロックのトリッキーなギターソロが入ったりとか、ギターが広い世代の色んなジャンルに広まったなと思うんです。なんでこんなに日本人はギター好きなのかなって。
今でこそギターは若者が持っている必須アイティムのベスト10の圏外に行っちゃってるぐらいの存在感だと思うんだけど、もっと長いタームで見ると、「日本人はギター好きなのかな」と僕は思いますね。寺内(タケシ)さんから。テケテケは僕は知らないけど、あの弾いてるサウンド、弾いている見場、スタイルが好きなんじゃないかと思うんですけどね。


北島 健二

北島さんの話に戻りますと、スタジオ系ギタリストの活動中にソロ作品を2枚リリースされていますよね。1981年に『反逆のギター戦士』、その1年後に今日SGで弾いていただいた「クリミナル・エステティクス」が収録されている『ギター犯罪美学』。
ちょっと言いづらいですが。(笑)

噛まないように気を付けました(笑)ああいうすごくファンキーでスリリングなギターもキラー・チューンなんですけど、もう1曲気になった曲があって。『ギター犯罪美学』のB面、レコードで聴いてますのでB面2曲目(笑)の「ムーヴィン・ウェーヴス」って曲で和泉宏隆さん(ex.T-スクエア)のピアノ。壮大な世界観の曲にエモーショナルなギターが炸裂してるじゃないですか。
はい。

アドリブですよね?
そうです、はい。

最初、びっくりして2回聴きましたよ、レコードだから針戻して(笑)
そうですか?今聞くとクドいやつだな、こいつって(笑)

いやいや(笑)、これ、みんな聴いた方がいいですよ。この時代にこんなにすごいものがあったったという。そして今日もう1曲レスポールで弾いていただいたのが「モーニング・サン」。これは『ヘヴィメタル・ギター・バトル』{1985年、松本孝弘(B'z)、松川敏也(ブリザード)、北島健二、橘高文彦(筋肉少女帯)によるオムニバス・アルバム}の1曲ですよね?
そうですね。

ソロ・アルバムを2枚出して、その後に今度は浜田麻里さん、吉川晃司さん、アン・ルイスさん、そして84年にTM NETWORKがデビューして、そのサポート、85年に尾崎豊さんの「卒業」が出て、87年になると、ついにフェンス・オブ・ディフェンスがデビュー。この7年くらいの間にかなり広範囲かつ高密度な活動をされていますが、ものすごく忙しかったんじゃないですか?
すごく忙しかったですね。毎日レコーディング・スタジオに行って、誰が歌うってことを教えてもらわないままレコーディングしているっていう。「今日、誰が歌うんですか」、「16才、女の子」って言われて、「ああ、わかりました」って、その気持で演奏するみたいな。そんな感じでスタジオを2つ3つまわって。

今あげただけでも、ほとんど時代の音を作ったといって過言じゃないと思いますけど。
忙しい人達に集中していましたね。

そういう時代があった後に、1985年にフェンス・オブ・ディフェンスを結成ですよね。
結成、はい。

ここで一回スタジオワークにケリをつけようと思った?
デビューしたらやめようかなっていう感じでしたね。その頃はまだ並行してやってたんじゃないかな。

やっぱり自身のバンド、そこにいきたかったというか、いくべきだと?
中学ぐらいからギターいっぱい弾いて、高校ぐらいに「プロになりたいな」と思ったときの自分のイメージは、「バンドで活動していく」というのが基本だったので。「そこ(バンド)にいくんだったら、それ以外はもうやる必要はない」っていう風に思っていましたね。

「これからはバンドでいくんだ」のきっかけのひとつが、TM NETWORKのバックっていうのはありますか?
きっかけのひとつかもしれないですね。ただ今言ったように、ずっとイメージはあったので。その間にアーティストを目指しながら個人としても人の仕事を請け負ってやるっていう二足のワラジ。そのスタイルは自分もいいなと思っていたので、気がついたら何年間かそっちばっかりやってたっていう。「バンド組まないか」、「ああ、いいね」っていうのが出てきたときに、僕がやりたかったのはこっちじゃないかって気がついて。もう十分っていうと変な言い方だけど、随分やったんで。いっぺん区切り、「ここから先どうなるかわからないけどバンドに集中しよう」っていうことで、未だに。ちなみにもうすぐ35周年ライブやりますけど。

同世代、近い世代の、例えば今剛さんや鳥山雄司さんとは違うディレクションに行かれたなと。
彼らもね、やっている部分もあるけど、僕はより“自分の名前で出ています”みたいなアーティスト指向が強い方かもしれないですね。

バンドでの活動は弾くギター、曲作り、制作の仕方が変わってくると思いますが、スムーズにいったのですか?
なんかモリモリしてたんで、特に結成して何年かは。ケンカもちゃんとしたし。ケンカしないとね、結びつきが強くならないと思うので。スムーズにではないですね。なんか怒涛のように、誰にも言われないけど、エネルギーが湧いてくるんで走り抜けた。抜けたっていうとあれだけど、走り続けてましたね。

あの時代にTM NETWORKが打ち立てた金字塔というか、打ち出したものは、その後の多くのアーティストに影響を与えた気がします。
今はまた再始動してますけど、すごい集団、すごいアーティストだなと思っています。今でも、たまに小室哲哉くんに呼んでいただいてレコーディングしたりとか。他のアーティストをやってるんですけど、すごい才能だなって思いますね。

フェンス・オブ・ディフェンスの活動が忙しくなってきて、TM NETWORKにB'zの松本さん紹介したのは北島さんだと聞きましたが。
そうですね。

交流は以前からあったのですか?
あの(笑)どこまで話していいのか・・・。さっきの2枚のソロ・アルバムを録ったのはコロンビアっていう青山にある会社/スタジオなんですけど、あの時代コロンビアにリハーサル・ルームってのがあって、所属アーティストは登録すれば使えたんです。そこで僕のソロ・グループもそうだし、織田(哲郎)も、よく集まって練習してたんです。その時にキーボードの友達だってやってきたんですよ、松本孝弘が「デモテープ、聞いてください!」って。今デモテープってないと思うけど。一緒にやっていたキーボードと松本君が2人でユニットを組んでやってるグループで、マクベスと書いてあった。で、中の音聞いて、めっちゃカッコよくて「すごくいいじゃん、このギターすごくいい」って。そのプレイを聞いて「わかった、このマクベスは、(マイケル・ランドウの)マクサスでしょ?」って聞いたら、「ええ、そうなんです」って言ってたという・・・。まだアマチュアだったけど、最初からいいセンスでしたね。

かなり長いですね。そうしたらもうデビュー前から?
プロになるよりもだいぶ前ですよね。

フェンス・オブ・ディフェンスは35周年ということで今でも継続していますし、2003年頃から水樹奈々さんのツアーにサポートで参加されていますね?
そうですね。2004年くらい、2003年かもしれない。

アニソン、例えば「ヒメムラサキ」(2005年、水樹奈々『バジリスク 甲賀忍法帖』)みたいに、アニソンって歪んだギターの音と相性がいいんですか?
なんとなく、昔からそういうイメージありますよね。特に戦隊ものとか。そういうアレンジが定番っていう。そういうアレンジの平準化みたいな。「あたりまえ」みたいな手法になってしまったところが、良くもあり、ちょっと残念でもあり・・・


北島さんのインタビューによると、「日本人には日本人のブルースがある」とおっしゃってます。
はい。

日本人のというか、北島健二のブルースの源泉というか、内から出てくるものは、どのようなブルースですか?
多分B.B.キングとかバディ・ガイとかをエリック・クラプトンが学生時代にコピーして、「こんな感じでやりたいたいな」って思ったけど、こんな感じになりきれなくて自分の味わいが出てしまう。やっぱり、イギリスの白人の味わいが出てしまうっていう。その“無意識の再構築”っていうのが僕の中では正しいと思っていて。だから自分はB.B.キング嫌いじゃないけど、あそこに夢中になったかというとやっぱり違って。それになりたいというか憧れてやったイギリスの白人のギタリストに僕はなりたいって思ってる東洋人の黄色人種だけど、演歌のフィーリングが抜けないし、歌謡曲のエッセンスもどうしても出てきてしまう。それは自然に出てくるから何の問題もなくて。モノマネじゃないので、なろうと思って練習して真似してみたら自分のバックボーンがにおってくる、出てきてしまうっていう。僕はそれが“継承してる”って思っていることなんです。最初のB.B.キングが本物で、それをそのままずっと継承しなくちゃいけないってのがブルースの全てじゃない。そういう形もあると思うけど、そうやって憧れて「なりたいな」と思っても自分が再構築しちゃう。そういう継承の仕方なのかな。そういうふうな意味で自分はブルース・ギタリストだと。B.B.キングの感じをやりたいわけではないんだけど、ブルースを継承している人間だと思っているんですよね。

自分の人生というか、これまで何を聞いてきた、何をしてきたか、そういうものが全部出てくるのがブルースだと。
ちょっと冷めた言い方に聞こえるかもしれないけど、アーティストってエディター(編集者)だと思っているんで。それは頭の中だけで全部完結しているのではなくて、無意識が混ざって衝動があってのことだと思うんです。自分が得たいろんなものを、ほぼ無意識に再構築して。「あ、これってカッコいい」っていうのを生む再編集作業みたいなものなのかなって思ってます。

高校生の終わり頃に「ギタリストになる」って言ったら勘当されたそうですね?
そうですね。うちの親は魚屋をやってたんです、おじいちゃんから二代。男3人兄弟で一番期待されていたと思うんですよ「こいつなら継いでくれるかも」って。それがもう、一刀両断に「やーめた」みたいな。「オレ、これやるから」って言ったら「ふざけるな」みたいな感じで・・・。あの・・・家を出ました・・・。

そして築地の青果市場でキャベツ運んでた。
ああ(笑)、キャベツ運んでましたね。

ミシシッピーで綿花畑じゃなくて(笑)
あー、近い近い。

ブルースですよね、これ。
そうですね。


今回の動画を見て北島さんの存在を知った人が、北島健二というギタリストを体現したというか象徴した作品を何か聞いてみたいと思った場合には、どの作品を挙げられますか?
自分の作品ですね? 自分も好きで今回やった『ギター犯罪美学』の「クリミナル・エステティクス」は持っていくと必ず「またあれやろうよ」っていろんな所で言われるので、オリジナル音源を聞いてもらうといいのかなって思います。それと、さっき力説されていたので、「ムーヴィン・ウェーヴス」。(笑)自分も聞いてみます。

今は学校の教壇にも立たれているんですよね。
はい。

テクニック的なこと以前に、若いミュージシャン/ギタリストに、これは伝えておきたいっていうことはありますか?
これは常々生徒にも色んな人にも言っているんだけど、アーティスト/ミュージシャンは自分のキャラクターを持っているので、「自分の来た道しか教えられないよ」って。他のまた特色の違うギターの人が教えるときは、その人が来た道を伝えるしかないと思うので。自分が来た道を伝えるって意味では、僕はロック・ギターっていう中でも基礎練習をすごくやってきた人なので、くどいくらいに。(空手家の)大山倍達っていうと、今はあんまりわかんないかな、あの人にとっての腕立て伏せ。大谷翔平にとってならスイング練習なのかな。絶対とんでもなくやっているはずなので、基礎的な練習は勧めていますけどね。「ちゃんと弾けよって、ドレミファソラシドを」。わりとつまんない授業をやってます。

すごく地味な練習ですよね。
地味ですよね(笑)・・・多分「それをやったほうが絶対自分のためになる」って信じていれば、飽きないように自分で勝手に工夫するんですよね。16部音符のフレーズを3連符に変換して弾いていくと、一周がどんどん頭がずれてきて、リズムにすごく気をつけていないとできないので、今まで「つまんないなあ、テレビつけてやろうかな」みたいなのが、一気にテンション高まって「ちゃんと弾かないとできないぞ」みたいな。そういうモデル・チェンジを常にやっているので。その辺はうまく伝えられない部分でもある。楽しむことは忘れずに、やらなきゃいけないことはやらなきゃいけないので。そういう感じですね。

アドリブで直感的にやっているのかと思いましたが、基礎がきっちり練習できていないと、そこには行けない?
どうなんでしょうね。違う人が教えたら、また違うんだと思うんですけど、僕はきちんと弾くっていうのをわりと目指しているので。未だに出来ているのかわからないけど、そのために自分は“あしたのジョー”の「えぐり込むように打つべし、打つべし」をやっているつもりなんですけどね。そういうことは必要なのかな。

最後の質問です。この動画が公開されたら、織田哲郎さんから「次はオレに弾かせろよ」ってならないですかね?(笑)
(爆笑)・・・。いや「弾かせろ」ってタイプじゃないんで、「弾かせろ」とは来ないけど、オファーが来たらとんでもなく喜ぶでしょうね。ギター弾くの大好きですから。彼のスタジオには、もう置けなくなった次から次へと増えていく歪みのペダルが、グランド・ピアノの蓋を閉めたところにほぼ埋め尽くされるくらい置いてあって、「もう置き場がないんだ。でもしょうがないんだよ」って。それくらい好きなんでね、プレイと音作りがね。喜ぶと思います。


収録を終えて

栗田隆志 Gibson Brands Japan

実家の家業を継がずにプロギタリストになると宣言した北島さんは、勘当されたため家を出て築地の青果市場で働きながらプロギタリストを目指し、その目標を実現しました。高校生の時からその並外れたギターの腕前は界隈ですでに有名であったと聞きます。準備ができている人にチャンスが訪れる時、それは偶然ではなく必然です。ある特定の分野で成功する可能性のある人には、まわりにその才能を見出して押し上げようとする人が必ず現れます。北島さんにもそういった人たちとの出会いがあり、1本の電話をきっかけにプロへの扉が開きました。その後、世界の音楽の潮流をリアルタイムでキャッチしていた新進気鋭のアレンジャー/編曲家の方々が、当時としてはまだ珍しかったハードロックをルーツとする北島健二ならではのギターで作品を作りたいと考えたのも想像に難くありません。三原順子「セクシー・ナイト」やアン・ルイス「六本木心中」に圧倒的な存在感のギターを吹き込み、その後結成されたフェンス・オブ・ディフェンスではハードロックをルーツとする華麗なプレイを惜しみなく発揮、ギター・ファンをうならせてきました。

当然、その天才的テクニックは築地の十字路で魂を売って手に入れたのではなく、その技術の土台となるものとして本人が語ったのは地味な反復練習の繰り返しでした。才能とは継続する訓練の積み重ねであり、訓練をどれだけ積み重ねられるかが才能ということでしょうか。さらに言えば、訓練だけでは人の魂を揺さぶるような音楽は作れません。ブルース・ギタリストが豊かな表現力でその感情を表現するように、音という手段は人と人とのコミュニケーションが成立してこそ、その目的を果たします。

北島さんが言う自身のブルースとは、ロバート・ジョンソンや3大キングに象徴される音楽ジャンルとしてのブルースではありません。おそらくは琴線に触れる音、さらには魂を揺さぶる音のことであり、北島さんの言う自身のブルースとは、「日本人として見てきた原風景や日本人の心の奥底に息づくもの」が源泉であり、その上で「何が好きか、何を吸収して育ってきたか」という動きようのない好みによって無意識のうちに生じるメロディーとリズムを、徹底した訓練によってイメージどおり正確にアウトプットしたものではないかと思いました。

Product 使用ギターの仕様と特徴

1959 LES PAUL REISSUEMURPHY LAB HEAVY AGED

今でこそロックギターの醍醐味である歪んだギター・サウンドが広まったのは1960年代半ば。その元となったのは感情豊かなボーカリストの歌声やサックス・ソロであり、それらに代わるものとしてギター・ソロは広まっていった。ドライヴ・サウンドの黎明期となるこの時代は、ギターとアンプのみで歪みを作ることが多かったため、ファットでサステインのあるトーン、そしてパワフルなピックアップのエレキギターが求められた。1958-1960年にかけて生産されたサンバースト・レスポールには、新開発のハムバッキング・ピックアップが搭載されていた。これらのギターの真価が発揮されたのが前述した1960年代後半から広まっていったドライヴ・サウンドが登場した時であり、ピッキングの強弱によって歪をコントロールすることで得られるメローで豊かな表情を備えたギター・サウンドは、ブルースマン達の感情を反映させたブルース・ロックという新しい音楽を生み出して人気を博した。

この時代、ウーマントーンの呼び名で知られるメローなドライヴ・サウンドがエリック・クラプトンに代表される60年代のブルース・ロック・ギタリスト達によって生み出された。これは、ギターのトーンを絞った状態でアンプをドライヴさせることで得られるオルガンやサックスを連想させるドライヴ・サウンドである。ウーマントーンを作り出すにはギブソン・ギターが必須だが、それには理由がある。まず、ギブソンのハムバッキング・ピックアップのトーンはレンジが広く、十分なベース域を備えている。そして、当時ギブソン・ギターに使われていたエレクトリック・サーキットは、ボリューム/トーン・コントロール共に高域特性にも優れたCTS社の500kΩポットが使われており、それに対してトレブルをカットするためのキャパシタには0.02μFというやや小さめのものが組み合わされていた。このためトーンをゼロまで絞り込んだ状態でアンプをドライヴさせると、メローながらも絶妙に音の芯が残ったウーマントーンを作り出すことができた。

1970年代に入り、アンプの進化と共にレッド・ツェッペリンに象徴されるハードでソリッドなロックが人気を得るにつれて、ギター・サウンドはエッジの効いたヘヴィなドライヴ・サウンドへと移行していった。1950年代のギターは手作業が多いゆえの個体差と豊かな表情を備えているが、それがヴィンテージ・ギターの人気にもなっていて、ファットで知られる50年代レスポールのグリップは1958-1960年にかけて徐々にスリムな形状へと推移してゆく。そして、1959年には現在主流のワイド・フレットが導入された。レスポールのボディ・トップに使用されている良質なメイプルにはフレイムが入ったものも多く、この時期特有の退色するチェリー・サンバーストにより、それぞれのギターが経年変化で独自のカラーと化しているのも魅力となっている。

現在のギブソン・カスタムショップからは58、59、60と各年のサンバースト・レスポールが製作されており、年ごとの特徴が再現されているが、今回北島氏が使用したのは最も人気の高い1959年の復刻モデルだ。長年に渡ってヴィンテージ・ギターを扱ってきたトム・マーフィーは、ヴィンテージに使われていた塗装の成分、厚み、そして退色やひび割れといった経年変化が起こるメカニズムを解析した。マーフィー・ラボ製品には、それらヴィンテージ同様の変化を再現する専用のラッカーが使われている。ヘヴィ・エイジド仕上げの今回のギターは、フェイデッド・カラーの中でも人気の高いゴールデン・ポピー・バーストとトップの退色に合わせたフェイデッド・チェリー・バックで仕上げられている。

1964 SG STANDARD REISSUEMURPHY LAB LIGHT AGED PSL

(協力:イシバシ楽器FINEST GUITARS)

SGタイプのギターは、いわゆるサンバースト・レスポールがフルモデルチェンジする形で1961年初頭に登場した。その経緯については幾つもの理由が考えられる。アーチトップを元にデザインされた1950年代のレスポールは、ともすれば古くさい印象があったのに対して、1958年からレスポール・ジュニアやES-335に導入されたダブル・カッタウェイ・シェイプは、他に類を見ない先進的なデザインであり、最終フレットまで無理なく弾けることで多彩なギター・ソロなど、エレクトリック・ギターに新しい可能性をもたらした。また、ボディ・トップがフラットのSGは、当時ブームになりつつあったヴィブラート・ユニットを組み込むのにも都合がよかった。(1960年代のSGスタンダードには常に標準仕様としてヴィブラートが組み込まれており、ストップ・テイルピース仕様が採用されたのは70年代から)サンバースト・レスポールには特別なサイズのメイプル材が必要だったのに対して、オール・マホガニー製という生産面でも有利なSGは、数ヶ月から数年分ものバックオーダーを抱えていた当時のギブソンの生産数を大きく拡大することになった。

SGに代表される1960年代のギブソンを象徴するフィニッシュともいえるチェリー・レッドが登場したのは1958年。それは、サンバースト・レスポールのボディ・バック、ダブル・カッタウェイへと進化したレスポール・ジュニアなどのギブソン・ギターに使われてきた。当時のギブソンでは、木目に多くの導管(小さな穴)があるマホガニー材を塗装する際に下地処理としてウッド・フィラーをボディに刷り込んで導管を塞いだ後に、スプレーによるカラーリングを行っていた。それに対してチェリー・フィニッシュでは、アニリンダイという着色剤をウッド・フィラーに混ぜることで、下地処理とカラーリングを同時に行っているのである。つまり、SGでは生地着色塗装とすることで、手間のかかるスプレー・ガンを使う工程がトップコート(クリア・ラッカー)だけですむようになった。サンバースト・フィニッシュよりも生産性に優れていることも、チェリー・フィニッシュが拡大していった理由のひとつだろう。

初期型SGにはレスポールのモデル名がそのまま引き継がれていたが、1963-1964年にかけて正式な機種名がSGスタンダードへと変更された。今回北島氏が使用したモデルは、この時代ならではの深く滑らかなカッタウェイやボディ・エッジのベベル加工に加えて、ヴィンテージ同様にアニリンダイを使ったチェリー・レッドにマーフィー・ラボによる専用のヴィンテージ・ラッカーを使い、特殊なエイジド加工を施すことで、やや明るく退色した様子や経年変化によって起こる細かなヒビまでもが再現されている。1960年代初頭の薄いグリップから、やや厚みがありポジションに従って滑らかに変化してゆくラウンド形状もこの時期の特徴となる。PSL(プリ・ソールド・リミテッドラン)による日本市場向けのカスタム・オーダー品となるこのギターには、ブルース・ロック・ギタリスト達の定番リプレイスメンツだったグローヴァー・チューナーが組み込まれている。ヴィンテージ・ギターはオリジナルのクルーソン・チューナーからおにぎり型のツマミを持ったグローヴァー・ロトマティック・チューナーへと交換されることが多い。その理由は両者のチューニング精度の差によるところが大きいが、ツマミやギヤボックスが鋳造で作られたグローヴァー・ロトマティックは強度的にも他社を大きく上回っている。また、戦後のギブソンでは高級モデルの純正パーツとしてグローヴァー・チューナーが組み込まれていることも多い。(1959年にはレスポール・カスタムにも採用された)また、適度な質量を備えたロトマティック・チューナーは、サステインを求める1960-1970年代のギタリスト達の定番チューナーでもあった。

文:關野淳
大手楽器店、リペア・ショップを経て、現在は楽器誌、音楽誌で豊富な知見に基づく執筆を行うヴィンテージ・エキスパート&ライター。