The Art of Strings vol. 5
19歳でプロになり、40年以上にわたり超一流と評価されてきた、日本を代表するギタリスト。レコーディング、ライブセッションにおいて絶大な信頼をおかれ、長きにおいて日本の音楽界を支え続けてきた。アーティストとしても1981年にリーダーアルバムを出しソロデビュー。その後自身のバンド、FENCE OF DEFENSEを結成。現在も活動を続けている。1996年にはジェフ・ベックが在籍していたBBAのカーマイン・アピス(Drums)、ジミー・ペイジのバンドでも活躍したトニー・フランクリン(Bass)、田村直美(Vocal)と共にPEARLを結成。プロのミュージシャンからも高い支持を得ながら、近年はエンジニアもこなせるプロデューサーとしても活動の幅を広げ、若い才能の発掘にも力を発揮している。また、水樹奈々を始めとする数々のアーティストのLIVEにサポートとして参加。プロデビュー以来片時も休まず精力的に活動している。スピーディーでスリリングなギタープレイはアマチュアのギターキッズのみならず、現在プロとして活躍している多くのミュージシャンからも憧れの的、目標として注目を浴び続けている。
北島健二が愛用するギブソンを紹介
2022/10/28 at ON AIR Okubo StudioInterviewer: Tak Kurita Gibson Brands JapanSpecial Thanks: Jun Sekino
栗田隆志 Gibson Brands Japan
実家の家業を継がずにプロギタリストになると宣言した北島さんは、勘当されたため家を出て築地の青果市場で働きながらプロギタリストを目指し、その目標を実現しました。高校生の時からその並外れたギターの腕前は界隈ですでに有名であったと聞きます。準備ができている人にチャンスが訪れる時、それは偶然ではなく必然です。ある特定の分野で成功する可能性のある人には、まわりにその才能を見出して押し上げようとする人が必ず現れます。北島さんにもそういった人たちとの出会いがあり、1本の電話をきっかけにプロへの扉が開きました。その後、世界の音楽の潮流をリアルタイムでキャッチしていた新進気鋭のアレンジャー/編曲家の方々が、当時としてはまだ珍しかったハードロックをルーツとする北島健二ならではのギターで作品を作りたいと考えたのも想像に難くありません。三原順子「セクシー・ナイト」やアン・ルイス「六本木心中」に圧倒的な存在感のギターを吹き込み、その後結成されたフェンス・オブ・ディフェンスではハードロックをルーツとする華麗なプレイを惜しみなく発揮、ギター・ファンをうならせてきました。当然、その天才的テクニックは築地の十字路で魂を売って手に入れたのではなく、その技術の土台となるものとして本人が語ったのは地味な反復練習の繰り返しでした。才能とは継続する訓練の積み重ねであり、訓練をどれだけ積み重ねられるかが才能ということでしょうか。さらに言えば、訓練だけでは人の魂を揺さぶるような音楽は作れません。ブルース・ギタリストが豊かな表現力でその感情を表現するように、音という手段は人と人とのコミュニケーションが成立してこそ、その目的を果たします。北島さんが言う自身のブルースとは、ロバート・ジョンソンや3大キングに象徴される音楽ジャンルとしてのブルースではありません。おそらくは琴線に触れる音、さらには魂を揺さぶる音のことであり、北島さんの言う自身のブルースとは、「日本人として見てきた原風景や日本人の心の奥底に息づくもの」が源泉であり、その上で「何が好きか、何を吸収して育ってきたか」という動きようのない好みによって無意識のうちに生じるメロディーとリズムを、徹底した訓練によってイメージどおり正確にアウトプットしたものではないかと思いました。
今でこそロックギターの醍醐味である歪んだギター・サウンドが広まったのは1960年代半ば。その元となったのは感情豊かなボーカリストの歌声やサックス・ソロであり、それらに代わるものとしてギター・ソロは広まっていった。ドライヴ・サウンドの黎明期となるこの時代は、ギターとアンプのみで歪みを作ることが多かったため、ファットでサステインのあるトーン、そしてパワフルなピックアップのエレキギターが求められた。1958-1960年にかけて生産されたサンバースト・レスポールには、新開発のハムバッキング・ピックアップが搭載されていた。これらのギターの真価が発揮されたのが前述した1960年代後半から広まっていったドライヴ・サウンドが登場した時であり、ピッキングの強弱によって歪をコントロールすることで得られるメローで豊かな表情を備えたギター・サウンドは、ブルースマン達の感情を反映させたブルース・ロックという新しい音楽を生み出して人気を博した。この時代、ウーマントーンの呼び名で知られるメローなドライヴ・サウンドがエリック・クラプトンに代表される60年代のブルース・ロック・ギタリスト達によって生み出された。これは、ギターのトーンを絞った状態でアンプをドライヴさせることで得られるオルガンやサックスを連想させるドライヴ・サウンドである。ウーマントーンを作り出すにはギブソン・ギターが必須だが、それには理由がある。まず、ギブソンのハムバッキング・ピックアップのトーンはレンジが広く、十分なベース域を備えている。そして、当時ギブソン・ギターに使われていたエレクトリック・サーキットは、ボリューム/トーン・コントロール共に高域特性にも優れたCTS社の500kΩポットが使われており、それに対してトレブルをカットするためのキャパシタには0.02μFというやや小さめのものが組み合わされていた。このためトーンをゼロまで絞り込んだ状態でアンプをドライヴさせると、メローながらも絶妙に音の芯が残ったウーマントーンを作り出すことができた。1970年代に入り、アンプの進化と共にレッド・ツェッペリンに象徴されるハードでソリッドなロックが人気を得るにつれて、ギター・サウンドはエッジの効いたヘヴィなドライヴ・サウンドへと移行していった。1950年代のギターは手作業が多いゆえの個体差と豊かな表情を備えているが、それがヴィンテージ・ギターの人気にもなっていて、ファットで知られる50年代レスポールのグリップは1958-1960年にかけて徐々にスリムな形状へと推移してゆく。そして、1959年には現在主流のワイド・フレットが導入された。レスポールのボディ・トップに使用されている良質なメイプルにはフレイムが入ったものも多く、この時期特有の退色するチェリー・サンバーストにより、それぞれのギターが経年変化で独自のカラーと化しているのも魅力となっている。現在のギブソン・カスタムショップからは58、59、60と各年のサンバースト・レスポールが製作されており、年ごとの特徴が再現されているが、今回北島氏が使用したのは最も人気の高い1959年の復刻モデルだ。長年に渡ってヴィンテージ・ギターを扱ってきたトム・マーフィーは、ヴィンテージに使われていた塗装の成分、厚み、そして退色やひび割れといった経年変化が起こるメカニズムを解析した。マーフィー・ラボ製品には、それらヴィンテージ同様の変化を再現する専用のラッカーが使われている。ヘヴィ・エイジド仕上げの今回のギターは、フェイデッド・カラーの中でも人気の高いゴールデン・ポピー・バーストとトップの退色に合わせたフェイデッド・チェリー・バックで仕上げられている。
(協力:イシバシ楽器FINEST GUITARS)SGタイプのギターは、いわゆるサンバースト・レスポールがフルモデルチェンジする形で1961年初頭に登場した。その経緯については幾つもの理由が考えられる。アーチトップを元にデザインされた1950年代のレスポールは、ともすれば古くさい印象があったのに対して、1958年からレスポール・ジュニアやES-335に導入されたダブル・カッタウェイ・シェイプは、他に類を見ない先進的なデザインであり、最終フレットまで無理なく弾けることで多彩なギター・ソロなど、エレクトリック・ギターに新しい可能性をもたらした。また、ボディ・トップがフラットのSGは、当時ブームになりつつあったヴィブラート・ユニットを組み込むのにも都合がよかった。(1960年代のSGスタンダードには常に標準仕様としてヴィブラートが組み込まれており、ストップ・テイルピース仕様が採用されたのは70年代から)サンバースト・レスポールには特別なサイズのメイプル材が必要だったのに対して、オール・マホガニー製という生産面でも有利なSGは、数ヶ月から数年分ものバックオーダーを抱えていた当時のギブソンの生産数を大きく拡大することになった。SGに代表される1960年代のギブソンを象徴するフィニッシュともいえるチェリー・レッドが登場したのは1958年。それは、サンバースト・レスポールのボディ・バック、ダブル・カッタウェイへと進化したレスポール・ジュニアなどのギブソン・ギターに使われてきた。当時のギブソンでは、木目に多くの導管(小さな穴)があるマホガニー材を塗装する際に下地処理としてウッド・フィラーをボディに刷り込んで導管を塞いだ後に、スプレーによるカラーリングを行っていた。それに対してチェリー・フィニッシュでは、アニリンダイという着色剤をウッド・フィラーに混ぜることで、下地処理とカラーリングを同時に行っているのである。つまり、SGでは生地着色塗装とすることで、手間のかかるスプレー・ガンを使う工程がトップコート(クリア・ラッカー)だけですむようになった。サンバースト・フィニッシュよりも生産性に優れていることも、チェリー・フィニッシュが拡大していった理由のひとつだろう。初期型SGにはレスポールのモデル名がそのまま引き継がれていたが、1963-1964年にかけて正式な機種名がSGスタンダードへと変更された。今回北島氏が使用したモデルは、この時代ならではの深く滑らかなカッタウェイやボディ・エッジのベベル加工に加えて、ヴィンテージ同様にアニリンダイを使ったチェリー・レッドにマーフィー・ラボによる専用のヴィンテージ・ラッカーを使い、特殊なエイジド加工を施すことで、やや明るく退色した様子や経年変化によって起こる細かなヒビまでもが再現されている。1960年代初頭の薄いグリップから、やや厚みがありポジションに従って滑らかに変化してゆくラウンド形状もこの時期の特徴となる。PSL(プリ・ソールド・リミテッドラン)による日本市場向けのカスタム・オーダー品となるこのギターには、ブルース・ロック・ギタリスト達の定番リプレイスメンツだったグローヴァー・チューナーが組み込まれている。ヴィンテージ・ギターはオリジナルのクルーソン・チューナーからおにぎり型のツマミを持ったグローヴァー・ロトマティック・チューナーへと交換されることが多い。その理由は両者のチューニング精度の差によるところが大きいが、ツマミやギヤボックスが鋳造で作られたグローヴァー・ロトマティックは強度的にも他社を大きく上回っている。また、戦後のギブソンでは高級モデルの純正パーツとしてグローヴァー・チューナーが組み込まれていることも多い。(1959年にはレスポール・カスタムにも採用された)また、適度な質量を備えたロトマティック・チューナーは、サステインを求める1960-1970年代のギタリスト達の定番チューナーでもあった。
文:關野淳大手楽器店、リペア・ショップを経て、現在は楽器誌、音楽誌で豊富な知見に基づく執筆を行うヴィンテージ・エキスパート&ライター。
THE COLLECTIONとはTAOS (The Art of Strings)に登場するギタリストが所有、愛用するギブソンを紹介するシリーズです。
希少性が高く入手困難なヴィンテージ・ギターの塗装の経年変化と弾き心地を忠実に新製品上で再現する特殊技術、エイジング。これを施されたギブソン・ギターの最高峰『ギブソン・カスタムショップ・マーフィー・ラボ』を、当代随一のギタリストが心行くまでプレイする動画シリーズ。