LEGACY OF J-45 PART 2 : アーティストが愛したJ-45

ボブ・ディランやドノヴァンが愛したアコースティックギター

 

 ギブソンを代表するアコースティックギター“J-45”は、1942年の誕生から今日まで世界中のアーティストが手にし、数々のライヴやレコーディングで使われ続けてきました。発売から80年が経過した2022年でも、その魅力が色褪せることはありません。レジェンダリーなミュージシャンが手にするJ-45に憧れ、いつか同じモデルを購入しようと仕事やアルバイトを頑張った経験をお持ちの方もいるかと思います。

 

 そんなJ-45を手にしたアーティストと言えば、真っ先にボブ・ディランを思い浮かべる方も多いでしょう。デビュー当時の彼は、J-45のナチュラル・カラー・バージョンと言える1940年代(中期~後期)製のJ-50を手にしていました。その音色は、デビューアルバム『Bob Dylan』(1962年)で聴くことができます。J-45とJ-50は、基本的な仕様が同じ“兄弟モデル”です。誕生したのも同じ1942年。大きな違いとなるのはJ-45がサンバースト、J-50がナチュラル・フィニッシュという点だけです。ただしJ-50に関しては、トップの杢目がハッキリと見えてしまうナチュラル・フィニッシュのため、J-45よりも厳選したトップ材を使用して作られていたとも言われています。そのためJ-50は、1947年頃まではレギュラーモデルではなく、制作された数もJ-45に比べて少ないため非常に稀少です。人によっては、塗装が違うJ-45とJ-50では音の響き方が違うと感じる方もいるようですが、基本的なサウンドの特徴に変わりはありません。その後、ボブ・ディランは1990年代からサンバーストのJ-45を手にするようになり、1998年頃からはステージでも頻繁に使うようになりました。そういったこともあり、ボブ・ディランの愛器=“J-45”というイメージが定着したように思われます。

  
▲J-50を弾くボブ・ディラン
  

 さらに“イギリスのボブ・ディラン”とも評され、ビートルズにも影響を与えたイギリスのシンガー・ソングライター、ドノヴァン・フィリップス・レイッチの存在も大きいでしょう。ドノヴァンは1965年にリリースしたシングル「Catch the Wind」が全英4位、続く1966年リリースの「Sunshine Superman」が全米のビルボード1位を獲得。さらに「Mellow Yellow」が全米2位と、一気にトップミュージシャンへと駆け上がりました。
 トラッドなフォークソングから影響を受けた活動初期のドノヴァンは、ギターとハーモニカを携えた弾き語りのスタイルでした。デビュー当時からチェリー・サンバーストの1965年製J-45を愛用していたこともあり、先述のボブ・ディランとよく比較されたと言われています。2015年7月には、“DONOVAN 1965 J-45” がシグネチャー・モデルとしてリイシューされ、大きな話題を呼びました。ジョン・レノンも、ドノヴァンの影響でJ-45を手にしたと言われています。

  
▲J-45を手にするドノヴァン・フィリップス・レイッチ
  
  

数々の名演を支えた吉田拓郎の1967年製J-45

 

 そして日本でもドノヴァンのレコードを聴き、その音色に惚れ、運命に導かれるようにJ-45を手に入れたミュージシャンがいます。それが吉田拓郎です。そのJ-45は、ザ・フォーク・クルセダーズやサディスティック・ミカ・バンドなどの活動で知られる“トノヴァン”こと加藤和彦が所有していたモデルでした。ラジオ番組で“ドノヴァンのギターの音って良いよね”といった趣旨の発言をしたことがきっかけとなり、のちに15万円で譲ってもらったと言われています。
このJ-45は、サンバースト・フィニッシュの1967年製で、アジャスタブル・ブリッジにはローズウッド・サドルが搭載されていました。また約14度のヘッド角度、ナロー・ネック(約39~40mm程度のナット幅)、ラージ・ピックガード、ダブル・リングのロゼッタといった仕様などが特徴の1本です。手に入れた当初はコンディションがそれほど良くなく、ネックが逆反り気味だったと言われています。そのため弦高が低く、やや“ビビり”があったと思われ、それが拓郎が所有するJ-45特有の“金属的な響き”を生む要因のひとつになったと言われています。
 このJ-45でレコーディングされたアルバムが『人間なんて』(1971年)です。収録曲の「結婚しようよ」は先述の加藤和彦が編曲に携わった曲で、現在ではJ-POPの原点とも言われています。そして1972年、吉田拓郎はメジャーデビュー作となる『元気です。』をリリース。このアルバムに収録された「リンゴ」のバッキングギターは、日本を代表するJ-45サウンドのひとつと言えるでしょう。この曲でギターを弾いたのが、セッション・ギタリストとしてさまざまなレコーディングで活躍したアコースティックギターの名手、石川鷹彦でした。吉田拓郎から借りたJ-45を半音下げチューニングにセッティングし、サムピックで“3フィンガーとストロークの中間”のような弾き方をしたことにより、あの金属的で独特なギターサウンドが生まれたと言われています。あのギターの音を再現しようと、多くの拓郎ファンがJ-45を手にしたことでしょう。
 1976年に発売されたアルバム『明日に向かって走れ』のジャケットには、愛用のJ-45を手にする吉田拓郎が写っており、レコーディングからライヴまで大活躍していたことが伺えます。そんな拓郎の姿に大きな影響を受けた長渕剛もまたJ-45を手にしたミュージシャンの1人です。さらに1970年代には、井上陽水や細野晴臣もJ-45を手に活動していました。

  
▲吉田拓郎/『明日に向って走れ』(1976年:フォーライフ)
  
  

音楽家のインスピレーションを刺激するJ-45の魅力

 

 つまりJ-45は、1942年の発売当時から特にシンガー(ソングライター)に人気の高いモデルだったのです。この傾向は今日まで変わりません。国内では桑田佳祐(サザンオールスターズ)、桜井和寿(Mr.Children)、奥田民生、斉藤和義、山崎まさよし、スガシカオ、北川悠仁(ゆず)、秦基博、miwa、星野源、あいみょんなど数多くのトップミュージシャンがJ-45を愛用しています。

  
▲J-45を弾く奥田民生
  
  
▲J-45を弾く斉藤和義
  
  
▲J-45を弾くあいみょん
  

 また海外アーティストでは、ライトニン・ホプキンス、バディ・ホリー、エルヴィス・プレスリー、ブルース・スプリングスティーン、ポール・ウェラー、エリオット・スミスなども、J-45を使っていたことで知られています。
 抱えやすいラウンド・ショルダーの16インチ・ボディ、歌いやすいレンジと倍音感、演奏性の高いネック・グリップ、手にする者のインスピレーションを刺激する音色、そして驚くほどの耐久性で、発売から80年経過した現代でも多くのミュージシャンを惹きつけ続けています。発売から時代に合わせて徐々に変化してきたJ-45ですが、本質的な魅力は変わっていません。なぜJ-45は80年もの長きに渡りミュージシャンから支持され続けるのか? その答えはJ-45を手にしてもらうことで、きっとわかっていただけることでしょう。

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