The Art of Strings vol. 3

鳥山 雄司 Yuji Toriyama

Profile

ギタリスト、音楽プロデューサー。1981年慶応大学在学中にセルフプロデュースによるソロ・デビューアルバムを発表。その後1996年にスタートしたTBS系ドキュメンタリー番組「世界遺産」にテーマ曲「The Song of Life」を提供、大ヒットオムニバスアルバム「image」にも収録され、自身の代表曲となる。他、フジテレビ系「フジサンケイクラシック」ゴルフ中継テーマ曲「Let me go」をはじめとする数多くの名曲をリリース。現在までにソロアルバムを15枚、また、学生時代からの朋友 神保彰(ds)、和泉宏隆(key)とのユニット「PYRAMID」によるアルバムを5枚発表している。アレンジャー、プロデューサーとしても松田聖子、吉田拓郎、葉加瀬太郎、CHARA、鈴木雅之、TUBE、宮本笑里、宮本文昭、伊東たけし、小松亮太、WeiWei Wuu等、幅広いジャンルのアーティストを数多く手掛ける一方で、アニメーション「ストリートファイターII MOVIE」「鋼鉄三国志」、ゲーム「幻想水滸伝V」、映画「神様のパズル」「クヌート」等のサウンドトラックも担当。2014年には自身のレーベル「Super Paw」を設立。 精力的にその活動の幅を広げている。 https://www.toriyamayuji.com

「Tornado」
「Whenever You Want」

Interview 収録後インタビュー

3/24 2022 at Sony Music Studios Tokyo
Interviewer: Tak Kurita Gibson Japan
Special Thanks: Jun Sekino

鳥山さんが所有されるレスポール・デラックスはミニ・ハムバッカーですが、今日の収録に使用されたレスポールはハムバッカーです。音も特性も違いますが、自身のギターとは違うプレイが出てきましたか?それとも違和感なく?
やっぱりミニ・ハムバッカーに比べるとレンジも広いし、特に高域の感じが違うんですよね。でも、今日弾かせてもらったのはパワーも適度にこなれてるっていうか、すごいパワーがあるって感じでもないし、コントロールもしやすい。いい感じでしたよすごく。

おっしゃるとおりで、アンダー・ワウンド・カスタムバッカー(Eバッカー)は、パワー抑えめで、トレブル・ハイまで出るような感じです。微調整はギターのコントロールで行っていましたよね?
ギブソンのギター全般に言えることで、ハムバッカーが2つ付いているどんなギターでもいんですけど、センター・ポジションでフルテンじゃなくって(ボリュームを)9とか8とか、本当にコンデンサが働いてフルテンになって音が変わる寸前のところっていうのにうまく調整して、センター・ポジションで“ジャキ”ってやると、ホントに“ジャキ”っとなるんですよね。どんなギターよりも。(一般的なギターは構造的にボリュームを下げると僅かにトーンも下がる)すごいスーパー・クリーンなアンプでそれを弾くと“ペラン”って聞こえるんだけど、実はレンジがあって。僕はすごく好きな音なんだけど。それがうまく再現されているギターですね。

330もお持ちですが(1959年製ギブソンES-330TD)こちらは軽くて取り回しが良いフルアコみたいなイメージで買われたのですか?
本当は335を探しにいったんですよ。その頃・・・1979年とか80年だったのかな、とにかく335がめちゃくちゃ人気で、いいギターが無かったの。だったら中に木も入っていないし(ボディの中にセンター・ブロックが無い)、全く違うけど弾いた感じサステインもいいし、「こっちのほうがいいや」って330を買っちゃんたんですよね。

今日使われた2本はエイジド仕上げになっていまして、ヴィンテージの弾き心地まで再現しているモデルですが、お持ちのギブソンと比べて感じたことはありましたか?
作りはすごくしっかりしていますね、僕が持っているのより。ひとつギブソンに対して思いれがあって・・・父親が米軍キャンプでギターを弾いていたんですよ。L-50っていうピック・ギター(アコースティック・アーチトップ)を持っていて。どんなエレキ・ギターよりも取り回しがいいギターで、ギブソンに対してのイメージってそこ。生まれた頃からそのギターがありますから、それがイコール・ギブソンのタッチなんです。だから僕にとって弾きやすいか弾きにくいかっていうのは、家にあるL-50が基本で。「ギブソンのエレキ・ギターってプラグインするとこういう音なんだよね」ってのは、後からついてくる感じなんです。そのフィールはすごく近い。全部コントロールしやすい楽器でしたよ、今日は。

鳥山さんは機材がシンプルですね。ペダルも最小限ですし、後はもうアンプに繋ぐだけ。主に弾き方とかギター本体のコントロールで音作りをされています?
そうですね。今日持ってきたペダル・ボードってサブなんですよ。実はサブも去年の夏まではスイッチング・システムを入れないで“男の直列繋ぎ”でやってたくらいで。いつの日からかシンプルなところに返り咲いちゃったんですよね。前は、“あれ繋いでこれやって、空間系はセンドでループして”みたいなことやってたんだけど。やっぱりレコーディング業務というか、コンサートでもPAに繋がれたマイクでとって再生される音を聞かせることが圧倒的に多いので、録った音が「これでいいじゃん」って、結果よければ何でもいいっていう考え方になっちゃって。ニュアンスは本当に弾き方とピック、左手も重要ですけど、そういうので作ってる感じですかね。

そういったことができるのは、元々ジャズが基礎にあるから?
こういう言い方しちゃうと元も子もなんですけど、歪んでいても歪んでいなくても自分の好きなトーンってのがあるんですよね。例えばここにSGがあるとかセミアコがあるとか、何でもいんですけど、なんとかして自分の好きなトーンに持っていくんですよ。自分の好きなトーンなんだけど、プレイヤーとしては「うーん、やっぱコレはレスポールだな」ってのが弾いてくうちにわかるっていうか。まず自分の好きなトーンを作ってから素材を味わうみたいな、そんな感じ。

自分の好きな音のイメージが明確にあると。
そうですね。

どの楽器でもそこに最短距離で近づけるって、けっこうな技術なんじゃないですかね。誰でもできることではなくて。
どうなんだろう。でも、コントロールができるってのがギタリスト。どんな楽器を弾く人もそうだけど、やっぱコントロールできないとその楽器が使えないなって事になっちゃうんで。

The Art of Strings vol.3 YUJI TORIYAMA Interview

3/24 2022 at Sony Music Studios Tokyo
Interviewer: Tak Kurita Gibson Japan
Special Thanks: Jun Sekino

鳥山さんが所有されるレスポール・デラックスはミニ・ハムバッカーですが、今日の収録に使用されたレスポールはハムバッカーです。音も特性も違いますが、自身のギターとは違うプレイが出てきましたか?それとも違和感なく?
やっぱりミニ・ハムバッカーに比べるとレンジも広いし、特に高域の感じが違うんですよね。でも、今日弾かせてもらったのはパワーも適度にこなれてるっていうか、すごいパワーがあるって感じでもないし、コントロールもしやすい。いい感じでしたよすごく。

おっしゃるとおりで、アンダー・ワウンド・カスタムバッカー(Eバッカー)は、パワー抑えめで、トレブル・ハイまで出るような感じです。微調整はギターのコントロールで行っていましたよね?
ギブソンのギター全般に言えることで、ハムバッカーが2つ付いているどんなギターでもいんですけど、センター・ポジションでフルテンじゃなくって(ボリュームを)9とか8とか、本当にコンデンサが働いてフルテンになって音が変わる寸前のところっていうのにうまく調整して、センター・ポジションで“ジャキ”ってやると、ホントに“ジャキ”っとなるんですよね。どんなギターよりも。(一般的なギターは構造的にボリュームを下げると僅かにトーンも下がる)すごいスーパー・クリーンなアンプでそれを弾くと“ペラン”って聞こえるんだけど、実はレンジがあって。僕はすごく好きな音なんだけど。それがうまく再現されているギターですね。

330もお持ちですが(1959年製ギブソンES-330TD)こちらは軽くて取り回しが良いフルアコみたいなイメージで買われたのですか?
本当は335を探しにいったんですよ。その頃・・・1979年とか80年だったのかな、とにかく335がめちゃくちゃ人気で、いいギターが無かったの。だったら中に木も入っていないし(ボディの中にセンター・ブロックが無い)、全く違うけど弾いた感じサステインもいいし、「こっちのほうがいいや」って330を買っちゃんたんですよね。

今日使われた2本はエイジド仕上げになっていまして、ヴィンテージの弾き心地まで再現しているモデルですが、お持ちのギブソンと比べて感じたことはありましたか?
作りはすごくしっかりしていますね、僕が持っているのより。ひとつギブソンに対して思いれがあって・・・父親が米軍キャンプでギターを弾いていたんですよ。L-50っていうピック・ギター(アコースティック・アーチトップ)を持っていて。どんなエレキ・ギターよりも取り回しがいいギターで、ギブソンに対してのイメージってそこ。生まれた頃からそのギターがありますから、それがイコール・ギブソンのタッチなんです。だから僕にとって弾きやすいか弾きにくいかっていうのは、家にあるL-50が基本で。「ギブソンのエレキ・ギターってプラグインするとこういう音なんだよね」ってのは、後からついてくる感じなんです。そのフィールはすごく近い。全部コントロールしやすい楽器でしたよ、今日は。

鳥山さんは機材がシンプルですね。ペダルも最小限ですし、後はもうアンプに繋ぐだけ。主に弾き方とかギター本体のコントロールで音作りをされています?
そうですね。今日持ってきたペダル・ボードってサブなんですよ。実はサブも去年の夏まではスイッチング・システムを入れないで“男の直列繋ぎ”でやってたくらいで。いつの日からかシンプルなところに返り咲いちゃったんですよね。前は、“あれ繋いでこれやって、空間系はセンドでループして”みたいなことやってたんだけど。やっぱりレコーディング業務というか、コンサートでもPAに繋がれたマイクでとって再生される音を聞かせることが圧倒的に多いので、録った音が「これでいいじゃん」って、結果よければ何でもいいっていう考え方になっちゃって。ニュアンスは本当に弾き方とピック、左手も重要ですけど、そういうので作ってる感じですかね。

そういったことができるのは、元々ジャズが基礎にあるから?
こういう言い方しちゃうと元も子もなんですけど、歪んでいても歪んでいなくても自分の好きなトーンってのがあるんですよね。例えばここにSGがあるとかセミアコがあるとか、何でもいんですけど、なんとかして自分の好きなトーンに持っていくんですよ。自分の好きなトーンなんだけど、プレイヤーとしては「うーん、やっぱコレはレスポールだな」ってのが弾いてくうちにわかるっていうか。まず自分の好きなトーンを作ってから素材を味わうみたいな、そんな感じ。

自分の好きな音のイメージが明確にあると。
そうですね。

どの楽器でもそこに最短距離で近づけるって、けっこうな技術なんじゃないですかね。誰でもできることではなくて。
どうなんだろう。でも、コントロールができるってのがギタリスト。どんな楽器を弾く人もそうだけど、やっぱコントロールできないとその楽器が使えないなって事になっちゃうんで。

今日のアンプ、メサ・ブギーのバッドランダー50も、初めてだと思いますが、現場で初めてのアンプに対応する時って、どのように音決めするのですか?
リファレンスが自分の頭にあるんですね。それで今日みたいに、1回ナマで聞いて、弾いて、音作って、その録音したものを再生して聞いて、それで“思ったとおりの音”ってなればもういじらないっていうか。その後、ああでもない、こうでもないっていじっていくと輪郭がボケちゃうんで。後はもう、自分の手で強く弾いたり弱く弾いたりで(コントロール)する感じですかね。

欲しい音に寄せていって、後は弾き方で完成させちゃうっていう、シンプルな法則があるのですね。
そう、なんかね。根性論じゃないですけど、“あとは手でがんばれ”みたいな感じはあります。

先ほど335が超流行っていた、人気だったっていう話があったじゃないですか。クロスローバーとかフュージョンとか、そういう音楽が生まれてきた時、当時のギタリストでいえば、例えば・・・
ラリー・カールトンとか。

そう、その時代クロスオーバー、フュージョン黎明期のギタリストの多くがセミアコで名演を残しているじゃないですか。それには何か理由があったのですかね。
多分オールラウンドな音が作りやすかったんだと思います。レスポールも、もちろん素晴らしいギターだけど、歪ませたときのガッツの感じが・・・。今AORがまた流行ってるじゃないですか。“ああいう中では、ちょっとトゥー・マッチだったんだろう”なあって。例えば僕が中学、高校の時、最初に聴いたのって、テン・イヤーズ・アフターのアルヴィン・リーとか、B.B.キングとか。ブルースの流れを汲んでクラプトンも使ってたじゃないですか。ブリティッシュの影響を受けたブルース・ロックみたいな人が使ってたんですよね、セミアコって。そういう楽器なんだってずっと思ってたわけ。ブルースの人が使う楽器って。そしたら、いきなりダイナ・コンプ(MXR)とかダン・アームストロングのオレンジ・スクイーザーとかポコっと付けて、軽いコンプレッションでカッティングしたりとか、シングル・ノートですごい浮き立つようなバッキングがあったりとかして。“これなんだろうな”って思ってたら335。もうそれが定番になっちゃったみたいなね。だから、「335持ってないの?」って感じで、スタジオ仕事を始めた頃は“まず335ありき”みたいな感じでしたね。(ピックアップ・セレクタを)リードにした時のちょっとカントリーみたいなスタイルもいけるし、逆にフロントでちょっとトーンを絞ってジャジィなものもできるし。さっき言ったようにセンター・ポジションで、8とか9ぐらいのボリュームで、非常に小気味の良いストラミングができる音色になったり。やっぱり用途が広い楽器なんだと思いますね。

ほとんど同じセッティングでレスポールと335を使ってもらいましたが、やっぱり335のアタックの音は全然違いますね。
そうなんですよね。逆にアタックがガツンってのはレスポールのほうがあると思うんですけど。サステインと共にチョーキングしたりヴィブラートするときについてくる感じが335って独特な色気がありますよね。

今日の2曲はPYRAMID(鳥山雄司/ギター、神保彰/ドラム、和泉宏隆/ピアノ)の楽曲ですね。「Tornado」と「Whenever You Want」という代表曲中の代表曲。
「Tornado」は和泉君が書いた曲で、2枚めの『以心伝心』(2006)っていうアルバムで、あの曲を和泉君が持ってきて、「こういうユニゾンをみんなでやりたいんだよね」っていう時に、「ああ、これ絶対レスポールだ」って思ったんですよ。さっき言った、レスポールのフルテンじゃない、しかもセンター・スイッチのポジションで、歪みすぎず、でもけっこうガッツがあって、っていうのはもうレスポールしかないなと思って、レスポールで仕上げた曲。「Whenever You Want」は、その後に出した『PYRAMID 3』(2011)っていう3枚目に入っている楽曲で。その頃は自分のモデル(ジェームス・タイラー)をずっと使っていて。自分のモデルは実はソリッドの格好をしているんだけど中がホロウでセミアコ状態なんですよ。ちょっとね、335っぽいニュアンスの楽器で。今回なんで335であの曲をしようかなって思ったのは、“マホガニーの木が入ったギター(ES-335の場合はネック部)で、あの曲を弾いてみたい”ってのがあって335を試させてもらったんですけど、すごく感じよかったですね。

さきほどの“指とか弾き方で音を作る”ってところに戻っちゃうんですけど、70年代はスタジオ系ギタリストの皆さんが、ほとんど同じような機材で仕事をしていたわけで。その中で“自分ならではの音を出そう”って意識はあったのですか?
セッション・ミュージシャン、スタジオ・ミュージシャンの仕事って、当時ほんとにバカみたいに忙しくて。どんなアーティストで、どんな曲なのかはスタジオ行くまでわかんなくて、譜面があって、それ見て対応して、テイク2か3で全部弾いて、それでOKにしないとクビですから。自分の音色で何かをやるっていう考え方も大事だけど、ドラム、ベース、キーボード、ピアノかエレピでエレキ・ギターがいて、最低4リズムでパーカッションがいてって時に、どういうアンサンブルをギターで出すかっていう。そういうアプローチの仕方で“何々系のギタリスト”って分けられてたんだと思うんです。あとは、もっとシビアに音楽的だと、ドラムやベースに対して、いわゆる“速い”のか“遅い”のか、どこに対してノッてるのかっていうリズムのグルーヴの作り方が根本的に。やっぱり所詮ギターって上モノなので、うまい具合にドラム、ベースに絡むっていうのが、「この人はちょっと前めよね」、「この人はちょっと後ろめよね」とか、「この人はすごく正確で、何しても同時なところに行くね」とか。そういう個性っていうのが大事にされていた気がします。

かなり鍛えられますね。その環境と現場だと。
鍛えられますよ。うん。

先ほどのPYRAMIDのメンバーのみなさんも、ほとんど同じ世代で同じ音楽が好きだったわけですよね。その共有体験の広さっていうのが今と全然違う気がします。音楽が変わってきた時代じゃないですか、さっきのクロスオーバー/フュージョンの時代って。ブルーノートやモータウンがLAに移ったりとか、あとレーベルが色々でてきたり。
ハイハイ、ハイハイ、CTIやアリスタが(新しいレコード会社やレーベル)・・・

あの時代に、続々と新しい音楽が生まれてきたっていうのは何か背景があったのでしょうか?
おそらくジャズの人たち及びジャズのプロデューサーが、“歌モノ”をプロデュースするようになってきて、クリード・テイラーっていうプロデューサーがCTIを作ったりとか(1967年)、アリスタ・レーベルができたりとか(1974年)。あとはクインシー・ジョーンズの一門の中に、デイヴ・グルーシン(ピアノ)とかボブ・ジェームス(ピアノ/プロデューサー)がいるんですけど、彼らがアメリカのテレビの劇伴で大ヒットを飛ばすようになって。その後、今度ボブ・ジェームスとかグルーシンがプロデューサーになって自分のレーベルを立ち上げると、もっと明確にこういう音楽を作りたいって時代になってきたんだと思うんですね。自分たちの好きな音楽を好きな形で出して、それに当時のトップ・ミュージシャン達がついていったっていう。それがアメリカの華やかなクロスオーバー全盛期。だからポップスにしてもホントに、うまいミックスのされかたですよね。マリーナ・ショウ(シンガー)とかもそうじゃないですか。ハーヴィー・メイスン(ドラム)とチャック・レイニー(ベース)とラリー・カールトン、デヴィット・T. ウォーカーがいて。だから、ああいう今までちょっとジャズ・フィールドのところにいた人がポップスに呼ばれたっていうか。それで作っていったものじゃないですかね。

そういった新しい音楽を一番多感な時期に浴びましたね。
それを神保君と和泉君と僕は15-16歳で、おもいっきり体験してしまって。僕なんかはジェフ・ベックが『ブロウ・バイ・ブロウ』(1975)を出した時に、「これ中身違うんじゃないの」って最初思ったんですよ。「これホント?」みたいな。ジェフ・ベックがいきなりファンク/R&Bに走ったら、今度はジョージ・ベンソンがいきなりイージー・リスニングに寄った『ブリージン』(1976)みたいなのを作って。みんながそこに寄っていった、すごく面白い時代ですよね。

その多感な時期ですが、お父さんがギターを弾かれていて、幼少の頃にジャズ、ハワイアン・ミュージックが家で普通にかかっていて、物心つく前からウクレレを渡されたりと、家の中がかなり特殊・・・いや特別な環境だったそうですね・・・
特殊ですよね。

意識しなくても、そういう音楽が勝手に入ってきたわけですよね。
父は僕が生まれた頃はサラリーマンになっていたので、「こいつはどうなるかわかんないけど、一応音楽的な才能は伸ばしてやろう」と思ったらしくて、赤ちゃんが使うようなガラガラとかは一切なく、家には音叉と楽器しかなかったんですよ。父親に感謝したいのは、中学生くらいになってエレキ・ギターが欲しいという時に「日本製はダメ」って。「とにかく楽器はアメリカ製のちゃんとしたものじゃないとチューニングも合わないし、使い物にならないからダメだ」って。だから、家にそういう楽器があったのがラッキーだったのでしょうね。

お父さんが聞いていたジャズっていうのは、いわゆるビバップとか?
父親が聞いていたのは、スウィングからバップに行くぐらいで、ギタリストでいうとバーニー・ケッセルとかタル・ファーロウとか。元は父親のアイドルはレス・ポールなんですよ。“レス・ポール・アンド・メリー・フォード”。多分そこから遡ってチャーリー・クリスチャン。米軍キャンプで弾いている時、アメリカの兵隊さんが「こういうのがあるぞ、こういうのもあるぞ」って、いろんな情報をくれるらしいんですよ。バーニー・ケッセルだ、ダル・ファーロウだ、ケニー・バレルだ、ウエス(モンゴメリー)はちょっと後になってから。だからそこらへんのレコードは死ぬほど家にありましたね。

家にあった音楽ではなくて、その後に自ら「これ買おう」って自分で手に入れた音楽はどのへんでした?
一番やられたのは小学校から帰ってきて、土曜日にNHKでやっていたジミ・ヘンドリックスで、「あっ、この人ギター燃やしちゃうんだな」ってのがすごい衝撃で。「これカッコいい」って思って聴き始めたのがジェフ・ベックかな。当時まだビデオなんか無い時だったんだけど、お金持ってる家の子がBetaなのかな?(ソニー・U マチック)を持っていてジェフ・ベック・グループのどこかのスタジオ・ライヴみたいな映像(おそらく『Beat Club』1972)を見ちゃったんですよ。もうその日から私はジェフ・ベックになると決めてですね、とにかくジェフ・ベックを全部買ったかな。その後BBA (Beck Bogert & Appice) を見て、その後すぐ『ブロウ・バイ・ブロウ』(1975)が出て、「これは、それどころじゃない」と。これはファンクだと。「ファンクを聴かないといけない」って、そのまま違う世界に行った感じですね。

すごくいろんなものが同居してますよね、鳥山さんの中には。
そうなんですよ。

デビューしてしばらくはギター・インストの作品で、その後80年代に入ってオリコンにチャートインするアーティストのレコーディング・ギタリストとか、編曲、プロデュース業に移行して行きますけど、それってスムースにいったのですか?
(意を決した感じで)今だからもういいだろう。自分のファースト・アルバムを作った時、エンジニアの人もいてプロデューサーもいたんですけど、全く思ったような音にならなかったんですよ。もちろんアレンジとかは自分でしてたんですけど。「なんでこんな事になっちゃうの」っていう仕上がりになっちゃって。これはミックスのこととか、もっといろんな楽器に興味を持って勉強して、“自分で納得のいく音を作れないとだめだ”って思ったんです。そこから、もちろんソロ活動はしてるんだけど、アンサンブルをすごい気にするようになって。その頃ラッキーなことに、ラーセン=フェイトン(ニール・ラーセン、バジー・フェイトンによるユニット)と東京で一回セッションできて、そのままロスへ行ってレコーディングした時に、「エンジニアだけお願いがあるの」って言って、「アル・シュミット(50年代から活躍する伝説的なエンジニア)をお願いしていい?」って言って。たまたまラーセン=フェイトンってアル・シュミットだったんですよ。「いいよ、いいよ」ってなって。アルさんがやると「おお、こうやるのか」みたいなね。いい時代ですよね、海外レコーディングやり放題で。そこら辺から、よりアンサンブルのことが面白くなってきて。ソロ・ギタリストとしての活動以外にスタジオ・ミュージシャンっていうのも憧れだったので、スタジオ・ミュージシャンの仕事をしていくうちに「アンサンブル、こういうふうにした方がいんじゃないですか」と口を出すようになり、「だったら、お前がアレンジしろ」って言われて、アレンジャーになってしまい。これは賛否両論あるんですけど、僕が思い描いていた15-16歳の頃の、さっき話していたクロスオーバー・ミュージックと日本で独自に進化していたフュージョンっていうのとは、こーんな違うところにいっちゃってて。僕が好きなインストゥルメンタル音楽は70年代後半から80年代初頭のものなんだけど、「どうやら日本で流行っちゃっているのは全然違うものだ」ってなっちゃって。「かといって、今から4ビートのジャズもできないしなー」、「ちょっとこれは静観しましょう」って、インストゥルメンタルを休業してたんですよ。でも、ジェフ・ローバーってキーボーディスト/プロデューサーがいて、ものすごいスムース・ジャズの大家としてアメリカではヒットメーカーでもあるんだけど、そのジェフ・ローバーがポーラ・アブドゥルの1枚目を1曲だけプロデュースしてるの。かっこいい曲だなって思ったら、ジェフ・ローバーって書いてあって、この人なんてワイド・レンジに仕事をするんだろう。っていうのがまずひとつと。同じくシステムっていうユニットがいて、システムのキーボードの人(デヴィッド・フランク)がクリスティーナ・アギレラをプロデュースしてて、それもメチャクチャかっこいいわけ。そういうのを見て「そうか日本ってそういう人はいないよな」っと思って。「そういう人になーろう」って思って活動してたのが、80年代の後半から90年代いっぱいって感じですかね。

ワイド・レンジな活動はまさに鳥山さんがそうなんですけど、それってかなりの引き出しがないとできないですよね。
いろんなことに首を突っ込みたいんでしょうね。だから打ち込みが流行れば「打ち込みやってみたい」って。それは、やっぱりスティーヴィー・ワンダーが大好きだったから。スティーヴィーって全部自分でやるじゃないですか。

自分の理想とする音楽、面白い音楽をつくりたい・・・でもそれって仕事ですから、ただやりたい、楽しいだけっていうわけにはいかないですよね。
そうですね。

でも、やってきたことが、きちんと評価をされて。例えば、鳥山雄司『チョイス・ワークス』(1982-1985年にかけてのインストゥルメンタル曲集)ってアナログ盤(レコード)が出たりして、海外でも再評価されてきて。私も最近やっと大阪のレコ屋で掘り当てました。探してたんですよ、なかなか無くって。
ああ、そうですか。ありがとうございます。

あとTBS系「世界遺産」のテーマ曲「ザ・ソング・オヴ・ライフ」。あれなんかオーケストラレーションですから、管弦とか、いろんな楽器の知識がないと書けないんじゃないですか?編曲もそうですけど。
スタジオで「あーでもない、こーでもない」ってアンサンブルに口出すようになって、「じゃ、お前がアレンジしろよ」って時って、レコード会社にまだ余裕があったんですよ。レコード会社のデレクターが若いミュージシャンを育てるって気概があって。「ちょっとアレンジしない?」ってなると「わかりました」ってやるじゃないですか。そのうち「あのさ、今度はちょっと弦とさ、ブラス・セクションもあるんだけど」、「でも僕書いたことないっすよ」って言っても「大丈夫、大丈夫、ナントカさんが書いた譜面とか全部残ってるから、参考に持っていっていいから」ってくれるんですよ。そのくらい若い人を育てる気概があったんですよね、レコード会社に。そういう名物プロデューサー、名物ディレクターがたくさんいて、その恩恵に預かったのは大きいと思います。だから、ほんとは恩返ししなきゃいけないんだけど、未だにあんまりできてない。すいません、ホントに。

確かに当時の音楽業界の気概ですよね。実験的なことをやろうとか、新しいものを作ろうとか、ミュージシャンを育てようといった。
今みたいに、ラップトップ1個持って自分で打ち込んできて、“データーを渡して納品”っていうことにはならないから、スタジオを借りて実作業をして作り上げなきゃいけないじゃないですか。それが深みにはまってくと、10時間かかったり12時間かかったり。下手すれば丸一日スタジオにいて、「掃除のおばさん入ってこないで」みたいなことがあったりするんだけど、その気概のある人達は「お前のおかげで、また始末書書いてんだよ」っていうのがあったんですよ。そういうことをやってくれる人ってのがたくさんいて。ホント感謝です。

そういった寛容な方々、大人の方々は、そこから出てくる新しい音楽とか、ミュージシャンとか、作品がきちんと生まれると、苦労の分だけ喜びも・・・
でしょうね。

自分が面白いと思えるものを作る、編曲もやる、曲も作る、ギターも弾く・・・と言っても、それが仕事である以上、やっぱり依頼する側から、それはレコード会社とか、タイアップにしてもそうですけど、求められるものって時代で変化していくじゃないですか。ギターの音も、編曲の仕方も、作品自体の音も。その変化に対応していかなければ期待に応えられないと思うんですけど。それって、かなりアンテナ張って勉強してないとできないですよね?
今のご時世はダイバシティーが行きすぎちゃってて。良い悪いってほんとに音楽には無いのと、これがトレンドってのは、昔の方がはっきりしていた気がして。今は逆に媒体がたくさんあるじゃないですか。SNSもあるし、それこそTikTokもあるし。だから何かでバーンとはねちゃうと、我々が知ってたメディアとは考えられないスピードでものが流行っちゃうとか、トレンドになるんで。もちろんアンテナは張ってるんだけど、網をちょっと粗めにして、全部が引っ掛かるとものすごい量になっちゃうんで、“落ちるものは落ちちゃっていいです”っていう風に今はしている感じですかね。

神保さんも言われてましたけど、「変化に対してオープンでありたい」っていうか。今の音楽や音作りにも蓋をするんじゃなくきちんと・・・
ラッキーなことに、また今、全世界的に70'sのグルーヴとか、80’sの初期のものとか、結局我々が一番おもいっきりリアルタイムで波を被った音楽が今また面白いっていうか、トレンドになっているところもあるので。でも、それを僕がまた同じことをやってもしょうがないって思ってるんですよ。やっぱり若い人達が違うアプローチで、でも最終的にはそこに行くのかもしれないんだけど。違うアプローチで到達することが面白い新しい文化になると思ってるんで。だから、僕たちはやっぱりその次を考えなくちゃいけないかなとは思っていますけどね。

そこなんですよね。昔の型をなぞっても新しいものは作れないですし、でもあんまり型から外れて“今はこれがきてる”みたくなると、昔からのPYRAMIDファンは、ちょっととっつきにくいものになっちゃうかもしれないし。そのバランスというか、さじ加減が難しい気がします。
うん、うん。ファンの皆さんは、それこそ今日のシュート(収録)じゃないけど、生身の人が弾いて、その時の音ってのがちゃんと聞こえるのが一番いんじゃないですかね。やっぱり、この2年位ライヴもままならない状態が続いているので、空気越しにちゃんと聞こえる音楽ってのが一番みんなありがたがるんじゃないですかね。

そうですよね。楽器がそこで鳴って、空気を通って耳に届くのが音楽ですもんね。そろそろ時間ですが、何か「これは言いたい!」とかあります? あっ、宇多田ヒカルさんの「キャン・ユー・キープ・ア・シークレット?」のギターも鳥山さんですよね?そういう音作りもされてるじゃないですか。入っているカッティングの音だとか、アコギの音も今的というか。型は踏襲しつつも、新しいものもきちんとやられてるなって思いました。
我々がスタジオワークをしていた時って、機材の流れもすごくて、機材が変わってきたから音楽も変わってきて、録音するメディアもこれだけ変わってきちゃったからだと思うんですけど、例えば今まではエレクトリック・ピアノだったものが、それがシンセサイザーのハイブリッドな音になったり。そうなった時に「じゃあギターはどう寄り添えばいいの?」って。それまでの音、それこそ「335にコンプかけたものじゃやっぱ抜けてこないよね」みたいのがあって。アンサンブルの中で変わっていったことは大きいですね。この25-26年。ヒカルちゃんだと、1枚目で・・・なんて曲だったかな?とにかく330を使ったんです。(おそらく「In My Room」)で、ワウが欲しいって言われて。なんかソリッドでやるとつまんないから「じゃあ、これ330がいいかね」って。だから臨機応変にやっていることは確かです。

サウンド・チェックの時にゴールド・トップでカッティングしてたじゃないですか。“ああこの音、あの時代の音だな”みたいな。例えばタワー・オヴ・パワーとかアースとか。カッティングひとつとっても、その頃のハムバッカーのカッティングと、その後ナイル・ロジャース、シックが出てきてから、まるっきり世界が変わったじゃないですか。
そうそう。やっぱりあれですよ。ファンクっても、スライ(スライ&ザ・ファミリー・ストーン)とか。あっち系の人達の後に、レイ・パーカーが、いわゆる「ゴースト・バスターズ」(1984)で売れる前のレイ・パーカーがもうバッチリのリズム・ギター・プレイヤーとして名演をしてるんだけど、ハーヴィー・ハンコックの『マン・チャイルド』(1975)っていうアルバムの中で。やっぱりレスポールでカッティングしているんですよね。それがもう・・・リズムはあるわ、ほんとにシングル・ノートに近いんだけど、こう・・・川になっていくっていうか、点じゃなくて線じゃなくて川のようにバーッってグルーヴしている感じとかが・・・あれは、すごい斬新っていうか。一方でやっぱナイル・ロジャースみたいなのもカッコいいですけどね。だから、どっちもありっていうことで。後発隊のいいところで、どっちもいいとこ取りって感じですかね。

最後の質問なんですけど、鳥山さんにとって“こんなギブソンあったらいいのに”っていうギターは?
レスリー・ウエスト(マウンテン)がけっこう好きなんですよ。レスリー・ウエストとかゲーリー・ムーアの音とか大好きで。ああいうクリーミィなんだけど、ちょっと鼻詰まりのガツンとしたやつって、なかなか出したくても出ないんですよね。それはきっとアンプのセッティングをきっと極端にやれば出るんだけど、そうすると、それしか使えなくなっちゃうんで。あの音が出るようなレスポールとか335があるといいですね。


収録を終えて

栗田隆志 Gibson Japan

鳥山さんは日本のギター・マエストロの一人であり、アレンジャー、プロデューサーとしても日本のミュージック・シーンの第一人者ですが、自ら音楽を探す熱心な音楽ファンの外に届く情報が少なすぎると感じていました。鳥山サウンドと仕事の流儀を、より多くの皆様にお届けする一助になればと思い、今回THE ART OF STRINGSへの出演を依頼しました。

“そのサウンドを聴いていない日本人はいない”と言っても過言ではないほど多くの作品を世に送り出し、ギターだけでなく自ら作編曲までマルチにこなす活動内容について、インタビュー中につい「贅沢ですね」と本音を言ってしまいました。

考えてみれば、いくら鳥山さんがギタリストの父を持ち、幼少期からジャズと楽器に慣れ親しんだ特殊な家庭環境で育ったとしても、十代でジェフ・ベックに衝撃を受けて、クロスオーバー、フュージョンの洗礼を受けたところまでは多くの同世代のギタリストと同じです。当然、最初からマルチ・タレントだったのではありません。

ファースト・アルバムの仕上がりが「全く思った音にならなかった」という現実により、鳥山さんは、自身が望む音を作るために“全てを自分でやる”と目標を定め、そのためにやるべき事、やらなくてはならないことを決めて実行し、ギタリストから音楽家へと進化を遂げました。

デビュー作(1981)からの鳥山雄司名義のソロ作品、歌い手を続々とヒットチャートに送り込んだ80年代中頃からのプロデュース業、かつての音楽仲間との邂逅により2003年に結成されたPYRAMID。それぞれ全く異なる活動をしているように見えますが、その根底にあるのは「自身が満足できる音楽、作品を作る」に他ならず、「やりたい事」、「なりたいもの」のために必要な知識と技術を、自らの意思と努力で手に入れたのです。

Product 使用ギターの仕様と特徴

1957 LES PAUL GOLDTOP REISSUE PSL MURPHY LAB HEAVY AGING

1957 LES PAUL GOLDTOP REISSUE PSLMURPHY LAB HEAVY AGING

1952年にギブソン初のソリッド・ギターとして発売されたレスポール・モデルは、年を追うごとに様々に進化していった。1957年のモデルでは、50'sレスポールに圧倒的な存在感をもたらしてきたゴールドトップ仕上げ、55年から採用されたチューン "O" マティック・ブリッジのABR-1に加えて、同年半ばからはついに“PAF”の呼び名で知られるハムバッキング・ピックアップが搭載される。更に、1958年半ばにはサンバースト仕上げになるため、ハムバッカーが搭載されたゴールドトップの期間は一年ほどしかなく、レスポール好きなギタリストたちの中でも魅力的な外観とトーン、そして強い存在感を併せ持つギターとして人気が高い。

カスタムショップで製作される1957年レスポールは、シリーズ専用に用意された良質で軽量な50年代と同種のジェニュイン・マホガニーを使用し、ネックも同年代の特徴であるCシェイプ・グリップに仕上げられている。実際の50年代のギターから3Dスキャンして作られた緻密なカーブド加工が施されたボディはメイプル/マホガニーのレイヤード構造。マーフィー・ラボに用意された4段階のエイジド加工の3段め/ヘヴィ・エイジド加工が施されたこのギターでは、マーフィー・ラボ・シリーズ専用ラッカーを用いて再現されたウェザー・チェックと呼ばれるラッカー特有の細かなヒビに加えて、ゴールド塗料に含まれる銅成分が酸化することで、沈んで緑色がかったダークな色合いへと経年変化した様子が再現されている。

今回の収録で使われた個体は、カスタム・オーダー・スペックのアンダー・ワウンド・カスタムバッカー(Eバッカー)が採用されており、アルニコ3・マグネットとアンポッテド・コイルの組み合わせはカスタムバッカー同様の仕様だが、10%ほどターン数が落とされており、豊かな表情と奥行き感が作り出される。また、マーフィー・ラボによるヘヴィ・エイジドでは、黄ばんだチューナー・ツマミ、ピックアップ・カバー、ブリッジ、テイルピース・スタッド等へのエイジド加工が施され、ヴィンテージ・ギターさながらの使い込んだ弾き心地をもたらしてくれる。

PSL:既存製品のカラー、パーツ等を変更して5本以上でオーダーされるカスタム・メイド。日本市場に向けたオーダー、販売店によるオーダーが存在する。

1961 ES-335 REISSUE MURPHY LAB ULTRA LIGHT AGING

1961 ES-335 REISSUEMURPHY LAB ULTRA LIGHT AGING

1958年に登場したES-335を始めとするセミ・アコースティック・モデルは、クリアなジャズ・トーンからラウドなドライヴ・サウンドまでを備えたギターとしてレスポールと並ぶギブソンの主軸モデルである。幅広いレンジとなめらかさ、ソリッド・ギター同等のサステインを備え、プライウッド+センター・ブロックという独自の構造がもたらすコンプレッション感、心地よいカッティング・エッジを備えたギターでもある。また、ES-335はソリッド・ギターとエレクトリック・アーチトップを橋渡しすると同時に、70~80年代の世界的なフュージョン/クロスオーバー・ムーブメントの中で、ソリッド・ギターを凌ぐ主役ギターとなった。

カスタムショップで製作される1961 ES-335は、発売された当初のスペックを受け継ぎながら、生地着色仕上げのチェリー・フィニッシュという60年代スタイルが交差する時期となる。ドット・ポジションマーク仕様のローズウッド・フィンガーボードが使われたネックは1ピースのマホガニー製で、この時期ならではの“フラット・アンド・ワイド”と呼ばれる約43ミリのナット幅、最も薄くスリムなグリップに加工されている。また、エッジ部分には使い込んだ弾き心地を作り出す“ロールオフ”加工が施されている。初期型の特徴となる丸いホーン先端を持つボディは、2枚の1/20インチ厚メイプル板の間に1/10インチ厚のポプラ板を挟んで作られた専用プライウッド。ボディ内の中央にはソリッドのメイプル・ブロックがセットされ、そこにブリッジ、テイルピース・スタッド、ピックアップといった主要パーツが組み込まれている。また、ネック・ジョイント、及びフィンガーボード部の接着に当時と同じハイド・グルー(ニカワ)が使われている。1961年モデルでは、ES-345に使うヴァリトーン・パーツを収納するために、センター・ブロックの一部がカットされていることも特徴となる。

ピックアップはややメロウな初期型ハムバッカーを再現したカスタムバッカー。ABR-1ブリッジ、アルミニウム製テイルピースといった、レスポールとも共通のパーツ類で構成されている。マーフィー・ラボで用意された4段階のエイジド加工の中で、最も浅いウルトラ・ライト・エイジドとなるこのギターは、明るい色合いへと退色が進んだチェリー・カラーが再現され、弾き跡やラボ専用のラッカー塗料を使ったウェザー・チェックと呼ばれる細かな塗装のヒビ等がリアルに再現されている。

文:關野淳
大手楽器店、リペア・ショップを経て、現在は楽器誌、音楽誌で豊富な知見に基づく執筆を行うヴィンテージ・エキスパート&ライター。


プロダクト・テクニシャンによるコメント

福嶋優太 Gibson Japan

ネックの調整
ファクトリーで定められている出荷基準ではネックをわずかにリリーフさせるのですが(やや順ぞり)、収録時は鳥山さんの希望によりストレートのセッティングにしました。ネックの反り具合の確認は弦を正確にチューニングして1フレットと15フレットを抑えた状態で、7フレットの頂点と弦の底面の隙間を確認します。計測方法についてはネック・リリーフ・ゲージを使用しました。

弦高、テイルピースの調整
鳥山さん所有のレスポール・デラックスはテイルピースの位置をかなり高くセットしてあり、これによりブリッジとの高低差が少ないため、収録に使用するギターも近い状態にしています。ゴールドトップはボディの底面から10mm、335は9mmにそれぞれ調整しました。テンションの変化の仕方には個体差がありますので、いずれも製品に適した高さに調整しました。テイルピースの位置を上げてブリッジとの高低差を減らすのは、10-46の弦で滑らかなフィンガリングを得る、そしてサステインを稼ぐのに適した調整方法です。動画では鳥山さんのハイポジションでのダイナミックなチョーキングと、豊かなサステインによる素晴らしいサウンドが確認できると思います。

ピックアップ
本動画シリーズ第一弾の今さん、第二弾の小倉さん同様に、ピックアップの各ポールピースは各弦の音量に合わせて1本ごとにバランスを調整してあります。バッキングの際にはラウンド弦の出力が強く出すぎない様に、またソロのアプローチでは1、2弦の出音が痩せないように(細くならないように)調整しています。各弦の出力は弦のメーカー、素材、ゲージによっても大きく変わるので、インプット・インジケーターのついているレコーディング機器、ミキサー等で弦ごとの出力を確認しながら調整を行っています。

試奏器セットアップデータ

1957 LES PAUL GOLDTOP REISSUE PSL MURPHY LAB HEAVY AGING
ネックリリーフ(ネックの反り具合) 0.0120mm
12フレット上の弦高 6弦 1.5mm
12フレット上の弦高 1弦 1.0mm
テイルピース高(ボディトップ⇔テイルピース下部) 10mm
ピックアップのセッティング リズム トレブル
ピックアップカバー面から弦までの距離*22フレットを押さえた状態で計測 6弦 3.3mm 6弦 3.3mm
1弦 2.3mm 1弦 2.8mm
各弦ポールピースから弦までの距離*22フレットを押さえた状態で計測 6弦 2.8mm 6弦 3.3mm
5弦 2.9mm 5弦 3.0mm
4弦 2.1mm 4弦 2.3mm
3弦 3.0mm 3弦 3.3mm
2弦 1.5mm 2弦 1.8mm
1弦 1.3mm 1弦 1.2mm
1961 ES-335 REISSUE MURPHY LAB ULTRA LIGHT AGING
ネックリリーフ(ネックの反り具合) 0.0254mm
12フレット上の弦高 6弦 1.59mm
12フレット上の弦高 1弦 1.2mm
テイルピース高(ボディトップ⇔テイルピース下部) 9mm
ピックアップのセッティング リズム トレブル
ピックアップカバー面から弦までの距離*22フレットを押さえた状態で計測 6弦 2.5mm 6弦 2.3mm
1弦 2.8mm 1弦 3.0mm
各弦ポールピースから弦までの距離*22フレットを押さえた状態で計測 6弦 2.3mm 6弦 2.7mm
5弦 2.0mm 5弦 2.0mm
4弦 1.5mm 4弦 1.5mm
3弦 3.0mm 3弦 3.0mm
2弦 2.0mm 2弦 2.0mm
1弦 1.3mm 1弦 1.0mm