伝説のレスポール・プレイヤー: キース・リチャーズ
Gibson.comにて不定期連載を続けておりますLegends of the Les Paulでは、特定の個体のLes Paulモデルに魅せられた偉大なギタリスト達をご紹介しています。アーティストとギターが一体となり、伝説的な音楽が創造されていったストーリーです。
この連載で通常取り上げているアーティストについて、彼らの伝説的な代表作品とその作品の中でのLes Paulの使用が切っても切り離せない関係になっているストーリーが取り上げられることが通例ですが、今回は今までの回とは若干異なります。今回取り上げるアーティストにつきましては、キャリアの初期における多くの決定的なパフォーマンスでLes Paulの使用が記録されていますが、そこで使われていたLes Paulは表舞台にでてきたり影に引っ込んだりしながら紆余曲折を経て、徐々に有名になっていったというストーリーです。その一方で、当のアーティスト本人はLes Paul以外のモデルの使用でも広く知られるようになっていきました。
やはり何と言っても、1962年頃から1967年頃にキース・リチャーズが所有しプレイしていたLes Paulは、ローリング・ストーンズに在籍した歴代のギタリスト達がプレイしてきたあらゆるギターの中でもおそらく最も伝説的な存在ですし、実際に最も高い評価を受けるようになっていきました。エリック・クラプトン、マイク・ブルームフィールド、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジなどのLes Paulブームを最初に巻き起こした立役者達は、ロックの表現の中でLes Paulの威力を発見し開発していき、ロック・ミュージックの神話のなかでLes Paulの確固たる地位を築いていったのですが、キース・リチャーズについては、実はいま挙げたスター達がこの独創性の高いシングルカット仕様のギターを手にする遥か以前から、サンバースト仕様のLes Paulを先んじて使用していたのです。キースのプレイ・スタイルは、当時のロック・ギターのプレイ・スタイルに進化をもたらしたブリティッシュ・ブルース・ロックにおける典型的なリード・ソロのスタイルとは見なされておりませんでしたが、バンドのサウンドと混ざった時のキースの肉感のあるリズム・ギターやキレのある鉄壁のリフを聞くにつけ、若干クランチがかったセミ・クリーン・アンプでかき鳴らすキースのレス・ポールの極上のトーンは、聴衆を唸らせるのに十分でした。
A Les Paul from Luton
ハイエンド・ギターのブローカーであるリチャード・ヘンリー提供の情報によれば、“Keith Burst”は1961年にイングランドのLutonにあるFarmers Music Storeというギター・ショップに到着した一番最初の59年製のLes Paulとのことです。一時期の間、Mike Dean & The KingsmenのJohn Bowenがプレイしていました。BowenはロンドンのSelmer’s Musicというギター・ショップでそのギターにBigsbyアームを後付けしてもらい、その後62年の後半頃には同じショップでそのギターを下取りにだしてしまいます。若かりしキース・リチャーズは、その頃盛り上がりつつあったロンドンのシーンでのミュージシャンの溜り場であるSelmer’sにたまたま訪れ、そのLes Paul with Bigsbyを購入することとなります。(Fleetwood Macのピーター・グリーンにしろThe Yardbirdsのジェフ・ベックにしろ、当時の中古ギターである1959年製のLes Paulを同じSelmer’sで購入していたことや、ロックの歴史の中で記録されているように、他のミュージシャン達もLes Paulを入手したショップがこの有名なロンドンのウェスト・エンド地区の同じショップだった、ということは特筆に値します。)
ストーンズの初期において、そのLes Paulはキースのメイン・ギターの1本でした。その時期のもっとも良く知られた写真があり、それは64年のイギリスのTV番組Ready Steady Go! での演奏シーンです。また、キースは同じ年にUSツアーにもでていたのですが、ツアー中に出演したThe Ed Sullivan Showの中でのストーンズの演奏シーンの中でもそのLes Paulが登場します。
ローリング・ストーンズの初期の作品の中でそのLes Paulを使って録音されたと推測されているのは、“Satisfaction”、 “Get Off My Cloud”、 “Let’s Spend the Night Together”、そして“Little Red Rooster”といった楽曲達です。現存するその頃のカラー写真を見ても明らかなように、そのLes Paulは製造してからまだたった5年しか経過していなかったにもかかわらず、既にフィニッシュの褪色は進んでおり、ボディの外周に沿って若干iced-teaカラーの陰影をともないつつも深みのあるamber burstのカラーへと既に変色が進んでいました。キースがまだそのLes Paul、通称Bigsby ’Burstを手放していない時期に、噂ではありますが、そのギターは一時期スタジオでのセッションにためにジミー・ペイジに貸し出されていたとか、クリームとして’66 Windsor Jazz & Blues Festivalに出演するエリック・クラプトンにも貸し出されていた、など諸説が語り継がれています。
Wandering Star
この時期から後年のBigsby ’Burstの足取りについても諸説あります。比較的信憑性の高いものは、リチャード・ヘンリーによれば、キースが1967年にミック・テイラーに販売・譲渡したという説です。彼もまた将来のストーンズのギタリストになる人物ですが、ミック・テイラーはちょうどその頃、John Mayall & The Blues Breakersにピーター・グリーンの後釜で加入したての頃でした。時期としては、The Blues Breakersの前任者であるエリック・クラプトンが1966年のライヴのためにそのギターを借りていた時期よりは後です。ミック・テイラーが後期のブライアン・ジョーンズの後釜でストーンズに参加したとき、巡り巡って“Keith Burst”はローリング・ストーンズに舞い戻ってくることになり、テイラーはメインギターとして69年7月のHyde Parkのコンサートでプレイすることになります。そしてミック・テイラーとキース・リチャーズは同年のUSツアーにおいて、ともにBigsby ’Burstをプレイすることになります。
ストーンズの管理下に再び引き渡された“Keith Burst”ではありますが、その後1971年に以下の諸説のうちのいずれかの途を辿ります。 A)バンドがExile On Mainstreetのレコーディング中に南フランスのthe mansion Nellcoteという当時キースが滞在していた大邸宅で盗難に遭ってしまったという説。B)ロンドンのマーキークラブでストーンズが演奏中に盗難に遭ってしまったという説。C) Cosmo Verricoというへヴィーメタルを演奏するギターキッズに彼の盗まれてしまったギターの代わりにと、あげてしまったか売ってしまったという説。どちらにしても、Cosmo Verricoは最終的にはWhitesnakeのBernie MarsdenへそのLes Paulを売ることになりました。Bernie Marsdenは1週間後に即座にコレクターのMike Joppのもとへ差し出し、最終的に“Keith Burst”の所有者を決定づけることとなりました。
2003年まではそのギターはMike Joppのもとにありました。そして翌年2004年、ニューヨークのクリスティーズでのオークションにかけられ、ヨーロッパのあるコレクターのもとへと旅立つことになります。キース・リチャーズはキャリアを通してあらゆる場面で他のLes Paulもプレイしてきました。最も有名なところでは、3ピックアップ仕様の黒いLes Paul Customではないでしょうか?70年代のギブソンの広告に登場していたモデルです。しかしながら、あのBigsbyアームが後付けされた1959年製のオリジナルLes Paulは、いつまでも“Keith Burst”として人々の記憶に残り続けることでしょう。
ギブソンについて
ギターブランドとして世界でアイコン的な存在であるギブソン・ブランズは、創業から120年以上にわたり、ジャンルを越え、何世代にもわたるミュージシャン達や音楽愛好家のサウンドを形作ってきました。1894年に設立され、テネシー州ナッシュヴィルに本社を置き、モンタナ州ボーズマンにアコースティックギターの工場を持つギブソン・ブランズは、ワールドクラスのクラフツマンシップ、伝説的な音楽パートナーシップ、楽器業界の中でもこれまで他の追随を許さない先進的な製品を生み出してきました。ギブソン・ブランズのポートフォリオには、ナンバーワンギターブランドであるギブソンをはじめ、エピフォン、クレイマー、スタインバーガー、ギブソン・プロオーディオのKRK システムなど、最も愛され、有名な音楽ブランドの多くが含まれています。ギブソン・ブランズは、何世代にもわたって音楽愛好家がギブソン・ブランズによって形作られた音楽を体験し続けることができるように、品質、革新、卓越したサウンドを実現していきます。