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Gibson.comにて不定期連載を続けておりますLegends of the Les Paulは、単にレスポールをプレイしているということだけではなく、イメージ的にもサウンド的にも、彼らの愛器である特定のレスポールと切っても切り離せない関係にあるロックの神々にスポットライトを当てる企画です。そのような関係性の中で、彼らの愛器であるレスポールは彼らがスターダムに登りつめるのに多大な貢献を果たす一方、プレイヤーは自らの力で彼らの愛器、レスポールを伝説的なステータスへと高めたのです。

 

伝説的なつながり

ポール・コゾフは25歳でその短い生涯を閉じましたが、若くしてミュージックビジネスの世界に飛び込みました。そして、クラシックなレスポール・トーンにおける筆頭格の提唱者と認知されるのに十分なほどのインパクトを、その11年間の活動期の中に凝縮させました。コゾフは、ロックバンド、フリーのギタリストとして衆目を集めましたが、ティーンエイジャー時代の彼の最初のバンド、Black Cat Bonesでは、フリート・ウッド・マックを率いていたピーター・グリーンのサポートとして定期的にギグをこなしていました。

ピーター・グリーンの1959バースト・レスポールの存在が果たして、コゾフがグリーンの59と同じくらいに有名なあの59 Les Paulを入手しようという決断に影響を与えたのかどうか、推測の域を出ません。議論の余地なく明白なことは、コゾフのバースト・レスポールは、限られた名高い1959 Les Paul Standardという殿堂入りの座に確実に収まっているということです。

 

フリーの誕生

コゾフはまだ15歳だった頃に初めて、栄光あるギブソンの高貴なレスポールの存在を知ることとなりました。コゾフは当時、ロンドンのチャリングクロス街にあるセルマーズ・ミュージック・ストアという楽器店で働いていたのです。そこは当時多くの名だたるアーティスト達にとっての溜り場だったのです。キース・リチャーズもジェフ・ベックもセルマーズでバースト・レスポールを購入しました。ですから、若かりしコゾフが当時その環境下にありながら、レスポールの最高のトーンやフィーリングに惚れこむことはなかったと想像することはできないのです。

シンガーのポール・ロジャース、ベーシストのアンディ・フレイザー、ドラマーのサイモン・カーク達とフリーを結成した時、コゾフは弱冠16歳でした。彼らは全員ティーンエイジャーだったのです。バンドは即座にアイランド・レコーズとの契約を取りつけました。1968年リリースの彼らのデビューアルバム、Tons of Sobs、そして次作のFreeでは、当時の世相、サイケデリック・レヴォリューションの渦中において、ソウルフルなブリティッシュ・ブルーズにおける爽快なほど明快な楽曲を提示しました。ところが、フリーをトップのステータスまで押し上げることとなったのは、1970年リリースのアルバム、Fire and Waterでした。 彼らの楽曲、“All Right Now”が全世界的な大ヒットとなったのです。

 

切れ味鋭い最高のトーン

短い活動期間を通してコゾフは、豊かで明瞭で切れの良い、歌うようなリードトーンで知られるようになりました。それは、今日我々がレスポールの特徴的なトーンとして連想するトーンです。コゾフは審美眼のある優れたセンスにより、彼よりももっと成熟した経験あるプレイヤー達からも称賛されました。21世紀現在の後知恵をもって振り返って聴いてみても、レコードから聞こえるコゾフのサウンドは、当時思っていたよりもずっとずっとクリーントーンであり、歌うようなサスティン感のあるトーンを導くのに十分なバイト感(噛み付くような感覚)のあるトーンなのです。決して、あからさまなクランチやへヴィーロッカー寄りの過度に飽和させたトーンではないのです。

コゾフの活動後期を通して、ごく数本のヴィンテージレスポールや再生産レスポールがコゾフの使用ギター・ラインアップに華を添えました。改めて、今の時代を生きる我々ギタリストは、コゾフの深みのある豊かなトーン、音楽的なフレージング、聴く者の感情に訴えかける大きなヴィヴラート・テクニックに触れる度に、あの褪色が進んだ、美しいフレームを持つ59を永遠に思い起こし続けることになるでしょう。その59はコゾフの死後、ある友人のもとへ渡っています。

1973年のフリーの解散後、コゾフは新バンド、Back Street Crawlerを結成し、引き続きレコーディングやツアーを精力的に行いました。しかし、ツアーでの放縦な生活や早くから得た名声は、彼にとっては手に負えないほど過度であったようです。数年間、ヘロイン乱用状態になったり抜け出したりの状態を繰り返し、1976年、ロサンジェルスからニューヨーク行きの機中、薬物が惹き起こした心臓発作により息を引き取りました。コゾフの父で俳優のデイヴィッド・コゾフは2005年に他界するまで、薬物乱用反対の熱心な活動家であり続けました。