ギターもバンドも
“うまくなるにはコツコツ長くやること”。
それが最も大切なことです。
Interview:Masaya Bito(BITTERS)
Photographer:Susumu Miyawaki(PROGRESS-M)
Costume:kiryuyrik(キリュウキリュウ)
Hair & Make-up:Yukari Nohara
2024年に設立130周年を迎えたギブソン。そして1974年のデビューから数えて50周年を迎えたTHE ALFEE(以下アルフィー)。記念すべきアニバーサリー・イヤーを迎えた両者は、ともに伝統と革新を積み重ねながら、新たな表現を生み出し続けている。今回、日本の音楽シーンを牽引し続けているギター・ヒーローである高見沢俊彦を迎え、愛用し続けているレスポールの魅力についてたっぷりと語ってもらった。
ギブソン・レスポールは
僕にとってずっと憧れのギター
──アルフィーが1974年にデビューしてから今年で50周年、ギブソンは130周年というアニバーサリー・イヤーを迎えました。
バンドが50周年で僕自身も70周年なので、今年はギブソンと同じくアニバーサリー・イヤーなんですよ。
──活動休止期間もなく、半世紀にわたってバンド活動を継続できた理由は?
長く続けてこられた理由のひとつは、メンバーそれぞれの音楽的な趣味が全然“違う”ということが大きいですね。もともとアルフィーの母体はアコースティック・グループで、S&G(サイモン&ガーファンクル)やCSN&Y(クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング)などの楽曲を演奏していたんです。僕はロック・バンドをやっていたので、このグループに入るまでアコースティックな音楽にあまり馴染みがなかったんですよ。でも当時の僕らはアコースティックなフォークもエレクトリックなハードロックも分け隔てなくその時代の“音楽”として共有していたので、メンバーからはCSN&Yなどの影響を受けたり、逆に僕はクイーンのようなハードロックを紹介したり、それぞれが好きな音楽を拒否するようなことはありませんでしたね。一緒にやるようになってからは、もともとS&Gを目指して歌をやっていた桜井に、僕が作ったハードロック的な激しい楽曲を歌わせたりして(笑)。桜井から”お前が歌えばいいだろ!”なんて言われましたけど、 “桜井の声がいいんだよ”って言って説得しつつ半ば強引に歌ってもらいました。僕自身も高校の頃に映画『ウッドストック』のCSN&Yや、日比谷野音で開催されていた『99円コンサート』に出ていたガロに衝撃を受けたりして……アコースティック・ミュージックに対する認識が良く変わったのを覚えています。それからコーラス・ワークのおもしろさに気付いたのは大学で坂崎に誘われてアルフィーの前身のバンドに入ってからでした。それからスリー・ドッグ・ナイトの「イッツ・フォー・ユー」のような複雑なコーラス曲を3人でコピーしたり、あとさっき少し話にでたクイーンのコーラス・ワークなども個人的に分析していました。そんな感じで、メンバーそれぞれの好きな音楽性が違っていたからこそ、お互いに刺激し合う部分があったんだと思います。
──ではバンド活動を長く続ける中で、高見沢さんが大切にしてきたこととは?
毎年“新曲を出す”ということ、そして“ライブをやる”ということ。このふたつですね。常に最新の楽曲を聴きたくなるようなバンドでありたいということは、バンド活動を続けていく上ですごく大切にしていることです。
──なるほど。改めて、高見沢さんとギブソンとの出会いについて話を聞かせてください。初めてギブソン・ギターを知ったきっかけは?
小学生の時買ったローリング・ストーンズのシングル盤、「夜をぶっ飛ばせ」のジャケットで、キース・リチャーズがビグスビー・ユニット付きのレスポールを弾いているのを見たのが最初です。その後は、ピーター・フランプトンの3ピックアップのレスポール・カスタムも印象に残っています。でもやっぱり僕ら世代で言うとレッド・ツェッペリン!高校の時の来日公演……武道館で観ちゃいましたからね!ツェッペリンのライブというのは、自分の音楽人生を振り返った時のターニング・ポイントのひとつになっていますね。特にジミー・ペイジのステージ・アクションを観た時に“こんなにも激しく動きながらギターを弾けるんだ!”って一気に魅了されてしまいましたよ。ステージに立っているジミー・ペイジのシルエットが脳裏に焼きついてしまって……それ以来、ギブソン・レスポールスタンダードは僕にとって憧れのギターになりました。
──そんな憧れの存在だったギブソン・レスポールを初めて手に入れたのはいつですか?
プロになってからですね。ちょうどアルフィーのバンド改革を行っていた80年代の初頭に、大阪の友人から1978年製のレスポール・スタンダードを10万円で譲ってもらったんです。それが僕にとって最初のレスポールでしたね。
──このレスポールと初めて出会った時のことを教えてください。
あれは雨の日でしたね。原宿でその友人と待ち合わせをして、そこで友人が“これだよ”ってケースからレスポールを取り出して見せてくれたんですけど……不思議なことにそれが“輝いて”見えたんですよね。自分の脳が勝手にきらびやかな加工をしている感じというか(笑)。ハードケースを開けた瞬間に目に飛び込んできたチェリー・サンバーストのボディを見て、“なんて美しいんだ!!”とものすごく感動したのを覚えています。
──この78年製レスポール・スタンダードは、どんな特徴を持ったギターなのでしょうか?
このレスポールは……かなり重いです(笑)。ただ昔も今も“レスポールはギター界の重鎮だから重いんだよ”って自分を納得させて弾いていますけどね(笑)。手に入れてからは、レコーディングでもステージでもずっと愛用し続けています。
──ボディの裏面の塗装がサンバースト・フィニッシュになっているのも珍しいですね。
あ、本当だ! そこには全然気が付いてませんでした(笑)。
──(笑)。このレスポールの音色が聴ける楽曲を教えてください。
「暁のパラダイス・ロード」や「メリーアン」、「星空のディスタンス」は、すべて78年製のレスポールでレコーディングしました。手にするギターが変わると自分の中から生まれてくるフレーズも変わるんですけど、レスポールには特にそういう要素を強く感じますね。僕がレスポールで特に好きなのは、フロント・ピックアップで鳴らす“甘いトーン”なんです。僕はボーカリストでもあるので、歌いながら弾く時の操作性も含めてレスポールは自分にピッタリのギターだと思いますね。間奏でピックアップを瞬時に切り替えて弾けるし、操作性は抜群です。
僕のギター人生に
一番寄り添ってくれたギターは
間違いなくギブソン・レスポール
──高見沢さんが執筆された短編小説“偏屈王”にも登場するブラックビューティーと呼ばれる3ピックアップ仕様の1958年製レスポール・カスタムを手に入れた経緯は?
このブラックビューティーは神戸の楽器店でたまたま見つけたんです。試奏してみたら、すごく良かったので即決で購入しました。ちょうど同じ日に大阪でコンサートがあったので、そのまま本番のステージ使っちゃいました(笑)。弾いた瞬間に“これだ!買う!”って感じでピンと来ちゃったんですよね。まず黒いボディに金色のピックアップが3つ搭載されているのが気に入ったし、これをステージで弾いたらどんな音がするんだろうってワクワクしましたよ。それが最初の出会いでしたね。その後も、このブラックビューティーはいろんなライブで使ってきました。10万人を集めたベイエリアのライブ(THE ALFEE 1986.8.3 SWEAT&TEARS TOKYO BAY-AREA)や、その時に新曲として披露した「Rockdom -風に吹かれて-」のレコーディングでも使いましたね。あと、海外レコーディングにも持っていきました。
──海外レコーディングにも持っていくほど特別な1本だったんですね。
そうですね。レスポール・カスタムは、スタンダードに比べて音がソリッドなだけにリア・ピックアップからフロント・ピックアップに切り替えた時に、音がより甘く感じるんですよね。ちなみに使うのはリアとフロントが多いので、真ん中のミドル・ピックアップは弾いている時にピックが当たらないよう低めにセッティングしています。もし僕が持っているレスポールのクローンを作ってもらえるとしたら、このカスタムでお願いしたいですね(笑)。それくらい気に入っている1本です。
──レスポール・カスタムといえば、2ピックアップの1969年製モデルも愛用されていますね。
1990年代半ばくらいに手に入れてからこれもメイン・ギターとして長く愛用してきたモデルです。特にライブステージで多用しました。このギターのことは当時“クロちゃん”って呼んでましたよ(笑)。1958年製のカスタムよりも音がソリッドで、コードやリフを弾いた時の音の輪郭がすごく明瞭なんですよ。このギターは、「I Love You」のようなアップテンポな曲で使うことが多かったですね。
──ギブソン・コレクションの中にはビンテージSGの姿もありますね。
これはヘッドのトラスロッドカバーにレスポールって刻印されているSGですね。楽器屋の店員さんに勧められて購入したギターなんですが、どうも僕は“レスポール”って名前に弱いみたいで……その名前を耳にするだけでついつい食指が動いてしまうんです(笑)。手に入れたのは1990年代の中頃だったかな。おもにライブで使っているギターですね。クランチでのカッティングには最高の働きをしてくれますが、最初に手に入れた78年製のレスポールのずっしりとした重量感に体が慣れてしまっているせいか、SGモデルのレスポールは少し軽すぎるようにも感じます。
──続いては、レスポール・モデルの最高峰とも称される1959年製について聞かせてください。手に入れた経緯は?
59年製のレスポールを初めて見たのは、1980年代の半ばに訪れたニューヨークの楽器店だった。でも、そこで出会った59モデルはすでに売約済みで、店員さんに誰が買ったのかを聞いたら、なんと!アル・ディ・メオラとのこと。そのあとも探し続けていたんですけど、なかなか出会うことができなくて。そんなある日、テキサスに住んでいる友人が市場に売りに出されている59年製のレスポールを何本かリサーチしてくれて、僕に写真を送ってくれたんです。その中から気になったモデルを選んで悩みに悩んで手に入れたのが、今も使っている59年製のレスポール・スタンダードです。もともとはチェリー・サンバースト・フィニッシュだったのが、経年変化によって赤色の染料が抜けていますね。ちなみにピックガードをはずすと当時の色味がまだ多少残っていますよ。
──ジミー・ペイジも59年製のレスポールを愛用していますが、その兄弟的存在のギターを手に入れた時の気持ちは?
“とうとうたどり着いたぜ! 59年!”という感じでしたね。と言うのも、いろんな音楽雑誌を読んでいるとジミー・ペイジだけでなくゲイリー・ムーアもピーター・グリーンもポール・コゾフも、みんな59年製のレスポールを使っていて……僕の頭の中には、“59年製=レスポールの最高峰”というイメージが刷り込まれていたんですよね。自分の記憶の中に鮮明に刻まれた“レスポールの伝説”というのが、この59年製に宿っているような気がしています。
──実際に音を鳴らした時のことを覚えていますか?
もちろん!もう弾いた瞬間に“LOVE”でした。先ほどお話したように、自分の中で“59年製のレスポールはすごいギターなんだ!”という思い込みが強めに入っていたので、音に関しては相当ハードルが上がっている状況で鳴らしたんですけど……巨大化していた僕の想像を軽く凌駕していきましたね。特にサステインが独特で、鳴らした音が消えていく時の余韻がずっと残っているような、そんな存在感があります。右手のダイナミクスがしっかりと表現されるところも好きですね。あとはやっぱりフロント・ピックアップのトーン。この音はアルフィーの楽曲には欠かせないギター・サウンドだと思います。リアとフロントをミックスしたセンター・ポジションで弾いた時の少しエッジのある甘いトーンも素晴らしいですね。
──貴重な59年製のレスポールですが、現在でもアルフィーのライブで使用することがあるそうですね。
ありますね。関東圏のライブで使うことが多いかな。と言うのも、自分で持ち込んで、ステージが終わったら持ち帰ることができるから。ローディーから「もう僕らじゃ管理出来ないんで持って帰ってください」って言われてしまったので(笑)、基本的には自分のスタジオで大切に保管しています。
──この59年製レスポールの音色にバッチリ合う曲はなんですか?
「COMPLEX BLUE -愛だけ哀しすぎて」のイントロに登場するブルージィな泣きのフレーズにはバッチリ合いますね。あと最近になって、メタルにも使えるということに気づきました。ズクズクとリフを刻むようなプレイにも合うし、何よりも演奏しやすく歌いやすい。自然体で音楽を表現することが可能ですね。あとこの59年製のレスポールをステージで持つと、不思議とギターと自分の体が一体化したような感覚になります。それだけ自分とレスポールの相性は良いということですね。バラードからハードな曲まで、ステージやレコーディングなどで音楽を表現する時に一番自分にフィットするのが、この59年製のレスポール・スタンダードではないかなって思います。やはりクローンを作るならこっちかな?う〜む悩みますね(笑)。
──なるほど。ちなみに高見沢さんは多くのギターをオリジナル・スペックのまま使用しているようですが、ギブソン・ギターを改造しようと思ったことは?
ないですね。僕としては、ギターが本来持っている姿をそのまま残しておきたいという気持ちが根底にあるので、改造して使おうとは思わないかな。でも、最初から改造されていたりするアーティストのシグネチャー・モデルは大好きなんですよ。ギター本体に弾き手のこだわりが落とし込まれているんだろうなって想像するだけで楽しくなってくるじゃないですか。例えばジミー・ペイジのダブルネックとかカーク・ハメットの“グリーニー”とか。あとドン・フェルダーのシグネチャー・レスポールの“ホテル・カリフォルニア”。イーグルスをコピーしていた自分としては、マナーとして“これは持っていないとダメでしょ!”って感じで手に入れて、スタジオでみんなに自慢しましたよ(笑)。そういったシグネチャー・ギターもアルフィーのレコーディングでよく使っていますね。
──改めて高見沢さんにとってレスポールとは、どのような存在の楽器ですか?
僕のミュージシャン人生に一番影響を与えてくれたギターです。今でも僕の理想とするギター・サウンドはレスポールから生み出される音を基本にしていますから。それはエレキ・ギターに魅了された少年時代からずっと変わっていません。それにレスポールというギターはアルフィーにとっても大切な存在なんです。個人的見解ですが、レスポールのサウンドは、僕らがメインで聴かせたい歌とコーラスの魅力を立体的に際立たせてくれるんです。しかもアコースティック・ギターの音を邪魔しないので、お互いの楽器を尊重し合うような関係性でいられる。あと、最近自分の番組で若いバンドの中に入って、彼らの曲を一緒にセッションする機会が多いんですが、そんな時にレスポールを使うとどんなバンドとでも親和性が高いような気がします。そういう意味でもレスポールって時代や世代を超えて音楽を奏でることができるギターではないかな?
──節目ともいうべきアニバーサリー・イヤーを経て、高見沢さんは今後の音楽人生をギブソン・ギターとどのように歩んで行きたいですか?
僕にとってレスポールサウンドを最高の条件で鳴らせる場所は、ステージですから、僕らのライブを観にきてもらえれば、それを体感出来ると思います。とにかくステージにこだわって50年間活動を続けてきましたが、今年の春ツアーでライブの本数が2900本を超えたので、とりあえす目標は3000本を目指して活動を続けていきたいと思っています。やっぱりライブをやり続けることが一番の練習ですからね。どれだけスタジオでうまく弾くことができたとしても、ステージの上で実力を発揮できなかったら意味がない。1本1本のライブを大切にしながら、本番のステージを積み重ねることが一番効果的な鍛錬になっていると僕は思います。毎年これだけの数のコンサートを重ねていて演奏が下手になるわけないじゃないですか(笑)。これからも毎年ステージを積み重ねていって、どれだけスキルアップ出来るのか個人的には楽しみですね。だから……やっぱりバンドっていうのは長くやらなきゃダメですよね。 ギターもバンドも“うまくなるにはコツコツ長くやること”……それが最も大切なことだと思います。
PROFILE
高見沢俊彦
3人組ロックバンド、THE ALFEEのリーダーでVO.EG担当。
THE ALFEEのほとんどの楽曲の作詞、作曲を手掛け、「メリーアン」、「星空のディスタンス」をはじめ、数々のヒット曲を生み出している他、多くのアーティストに楽曲を提供する音楽家、プロデューサーとしても活躍。
また、小説を執筆するなど小説家としても勢力的に活動を続けている。
今年2024年、デビュー50周年を迎えたTHE ALFEEの通算公演回数は2900回を超え、これは日本のロックバンド最多。メタルからフォークまで包括する幅広い音楽性、確かなテクニック、圧倒的なパフォーマンスで高く評価されている。
THE ALFEEのライブでは、ギブソン1959年製レスポール・スタンダード、1958年製レスポール・カスタムといった、今や超高価で貴重なヴィンテージギターも惜しみなく使用されており、それらの極上のトーンを堪能できる。